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“震源地”武漢、都市封鎖中の市民生活と解除後の状況は? いまだに恐怖も?

新型コロナウイルスの流行が始まったとされる中国・武漢市の「都市封鎖」が解除されました。封鎖期間の様子と解除後の状況について、専門家に聞きました。

都市封鎖が解除された日の、武漢市の鉄道駅前(2020年4月、AFP=時事)
都市封鎖が解除された日の、武漢市の鉄道駅前(2020年4月、AFP=時事)

 新型コロナウイルスの流行が始まったとされる中国・武漢市は長期間、外出などが厳しく制限される「都市封鎖」が行われていましたが、4月8日に解除されました。1100万都市の封鎖とは、どのような状況で、現在はどうなっているのでしょうか。

 ノンフィクション作家で中国社会情勢専門家の青樹明子さんに聞きました。

封鎖中は「外出禁止」徹底

Q.武漢市が都市封鎖に至るまでの流れを、改めて振り返ってください。

青樹さん「私がこの新型ウイルスについて最初に耳にしたのは、昨年12月の中ごろ、『武漢で変なウイルスが出ているらしいよ』といううわさでした。

中国は過去にSARS(重症急性呼吸器症候群)や鳥インフルエンザなどがあり、疫病は初めてではありません。私自身も、SARSと鳥インフルが流行したときは北京にいたので、『また出たんだ』くらいにしか思っていませんでした。中国人も皆、同様だったと思います。

武漢市が新型コロナウイルスの流行を認めたのは12月31日です。その時点で病院には、発熱を訴える人が大勢詰めかけており、翌1月1日に、感染拡大が始まったと言われる市場が閉鎖されました。12月にうわさが広まってから、年末までは営業していたわけです。その時点では既に、ウイルスの拡散は始まっていたのでしょう。

1月9日、中国国営テレビが初めて新型コロナウイルスの検出を報じ、武漢で初めての死者が出ました。しかし、武漢市は『人から人への感染はない』と言っていました。その結果、武漢の人たちは危機感を持たず普通の生活をしていました。そして、春節が近づいてきます。

1月18日、武漢で『万家宴』という春節前の伝統行事が開かれました。皆それぞれの手料理を持ち寄って、一斉に会食するのです。4万世帯以上の市民が参加したという大規模なもので、ここでさらに感染が広がった可能性があります。

そして、1月20日になって、習近平国家主席がウイルスの存在を公に認め、 新型コロナウイルスを抑え込むよう指示しました。この時点でようやく、人から人への感染を認めて、1月23日に武漢の都市封鎖、いわゆる、ロックダウンをしたのですが、その日新たな感染者は495人を記録し、2週間前の10倍以上。

しかも、春節休暇を控えて、約1100万人の武漢市民のうち500万人が武漢を離れていたといわれます。その中から、日本にも多くの人が来ていたわけです」

Q.都市封鎖中の生活は、どのようなものだったのでしょうか。

青樹さん「1月23日午前10時、すべての交通機関が遮断されました。航空便も、高速道路も、高速鉄道も。

中国の外出禁止措置は、非常に厳格です。緩い日本の外出『自粛』とは比べようもありませんが、欧米と比べてもかなり厳しく、本当の『外出禁止』です。日本のように、家族連れでスーパーに行ったり、休日に潮干狩りをしたりというのは絶対にできません。

その代わり、食料はきちんと行き渡るようになっていました。国が『食料だけは絶やすな』と指示を出していて、ネット通販を利用して食品を宅配してもらったり、町内会的な組織『社区』の世話役が最低限の食料、肉や野菜など一括購入の手配をしたりしていたようです。

社区は文化大革命時代、日本の江戸時代の『五人組』のように監視の役割も担っていました。今はさすがに恐怖政治時代とは違いますが、封鎖中は違反者のチェックなどをし、世話役が各家庭を定期的に訪れて検温したり、健康状態などを聞いて回ったりしていたようです。

その家の中で、彼らは何をしていたのか。都市封鎖の時期、TikTokで、20秒ほどの動画で自宅を面白おかしく紹介することがはやりました。台所を『グルメ通り』と言ったり、ソファを『遊園地』と言ったり。ほかに『ネット配信で映画を30本見た』『長編小説を読破した』など。

若者を中心に前向きな投稿もありました。『毎日自炊して料理の腕が上がったので、コロナが終わったら、僕は調理師になる』『毎日料理をして家族に食べさせて、家族回帰できた』といった投稿もありました。資格試験のために勉強しているという人もいました。

いい話もあります。新鮮な野菜が入手しづらいということで、有名な野菜の産地は武漢に野菜を届け続け、全体では約2300トンにも及んだそうです。病院のスタッフにお弁当をずっと届けた人もいました。

武漢の街では、自転車に乗った男性が『トルコから背負ってきたものだ』と、外出警戒中の警官に小ぶりの箱を投げ渡したんですね。中にはマスクがぎっしりで、警官が『君の名前は』と聞くと、『俺の名前? 中国人さ』と言って去っていったそうで、『カッコいい!』とネット民に大ウケしていました。

それでも、長期間の封鎖生活はつらかったようで、解除当日、ニュースのインタビューでは、『77日間、一歩も外に出なかった。初めて家から出た』と涙を流している人もいました」

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青樹明子(あおき・あきこ)

ノンフィクション作家・中国社会情勢専門家

早稲田大学第一文学部卒、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程修了。大学卒業後、テレビ構成作家や舞台脚本家などを経て企画編集事務所を設立し、業務の傍らノンフィクションライターとして世界数十カ国を取材する。テーマは「海外・日本企業ビジネス最前線」など。1995年から2年間、北京師範大学、北京語言文化大学に留学し、1998年から中国国際放送局で北京向け日本語放送のキャスターを務める。2016年6月から公益財団法人日中友好会館理事。著書に「中国人の頭の中」「『小皇帝』世代の中国」「日中ビジネス摩擦」など。近著に「中国人の『財布の中身』」(詩想社新書)がある。

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