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家の所有権は借金肩代わりした弟へ 兄の欲望と焦燥が生んだ争続(下)

「名義をそのままにするなら、金で払え」

 そこで、育也さんは「名義のことは借金を返済するために仕方なかったんだ。もう終わったことだから(お金は)いいよ。別に兄さんに立ち退いてもらうつもりはないし、今まで通りでいいよ。5万円は一回忌のときに返せばいいかな」と大人の対応をし、事態は収束するかに思えたのですが、兄は引き下がらずに反撃してきたのです。

「そうか、お前の考えは分かった!! 名義をそのままにするんなら、その分、金で払えよな!!」

 兄は電話口で突然、語気を強めたのですがどういう意味なのでしょうか。

 父親は融資の返済に明け暮れたため、実家の土地、建物以外めぼしい財産はありません。残念ながら、父親の工場は法人成りしておらず、自営業なので退職金も存在しません。5年前の事件以降、年金だけを頼りに暮らしていたのですが、父親、母親はどちらも国民年金なので日々の生活で精いっぱい。年金の余りを貯金する余裕はありませんでした。

 父親の遺産を相続することが法律で認められているのは、母親、兄、育也さんです。父親はこれといった遺言をしなかったので、3人は法定相続の割合で遺産を分け合います。今回の場合、母親が2分の1、兄と育也さんが4分の1ずつ。一方で、どんな状況でも最低限手に入れることができる相続分を遺留分といいますが、今回、兄の遺留分は8分の1です。

 兄は、育也さんが余計なことをしたせいで自分が法定相続分を失ったと言っているのです。実家の土地、建物が父親名義のままなら、4分の1の権利を得ることができたというわけ。5年前の事件によって、兄が相続する財産はなくなってしまいましたが、それなら、遺留分の8分の1を現金で払えという主張です。言い分は本当に正しいのでしょうか。

 被相続人(父親)が生きているうちに、特定の相続人に財産を分け与えることを生前贈与といいます。確かに、実家の土地、建物は生前贈与に該当するでしょう。この場合、贈与されたのは生前ですが「相続した」と解釈します(平成10年3月24日、最高裁判決)。しかし、育也さんの法定相続分は全体の4分の1にすぎません。父親の財産は実家の土地、建物だけなので、明らかに「もらいすぎ」です。

 生前贈与によって遺留分を得ることができない状況になった場合、特定の相続人に対し、遺留分を金銭で支払うよう求めることが認められています(民法1046条、2019年7月に新設された遺留分侵害額請求権)。兄はこれらを踏まえた上で罵声を浴びせてきたのですが、育也さんは相応のお金を払わなければならないのでしょうか。

 育也さんは実家の土地、建物を無償でもらったわけではありません。2000万円の借金を返済することと引き換えに手に入れたのです。当時、実家の土地、建物の固定資産税評価額はわずか800万円でした。母屋は築40年、工場は築35年で、建物の価値は100万円以下。土地は300平方メートル以上ありますが、最寄り駅から車で35分もかかる辺ぴな片田舎。土地の評価額は700万円にすぎなかったそうです。

 つまり、育也さんは800万円の物件を2000万円で買い取った形になり、大赤字を強いられたのです。生前に贈与されたのは負の財産。仮に、借金が残ったまま父親が亡くなり、遺産相続が発生したら、兄は4分の1の所有権を得る代わりに、500万円の借金を押し付けられる結果になったでしょう。兄は生前贈与によって遺留分を失ったわけではなく、逆に借金を背負わずに済んだのだから、むしろ育也さんに感謝すべきなのです。

「兄さんは保証人でもないし、兄さんが僕に返済する必要はないし、僕も兄さんに請求するつもりはないよ。今の話は聞かなかったことにする。おふくろも気落ちしているから、あんまり波風を立てないでくれるかな? もちろん、これまで通り(実家に)住んでいていいから」

 育也さんは冷静を装い、電話口の兄を説得しにかかったのですが、兄は「5年前はお前が勝手にやったことだろ? 絶対に許さないからな!!」と捨てぜりふを吐くと、一方的に電話を切ってしまったそう。育也さんは翌月、実家を訪ねて母親に例の5万円を託し、「兄さんに渡しておいてくれ」と頼んだのですが…母親は「私も老い先が長くないから」と前置きした上で、衝撃の事実を耳打ちしてきたのです。

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露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)

露木行政書士事務所代表

1980年12月24日生まれ。いわゆる松坂世代。国学院大学法学部卒。行政書士・ファイナンシャルプランナー(FP)。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化し行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界最大規模に成長させる。他で断られた「相談難民」を積極的に引き受けている。自己破産した相手から慰謝料を回収する、行方不明になった相手に手切れ金を支払わせるなど、数々の難題に取り組み、「不可能を可能」にしてきた。朝日新聞、日本経済新聞、ダイヤモンドオンライン、プレジデントオンラインで連載を担当。星海社の新人賞(特別賞)を受賞するなど執筆力も高く評価されている。また「情報格差の解消」に熱心で、積極的にメディアに登場。心理学、交渉術、法律に関する著書を数多く出版し「男のための最強離婚術」(7刷)「男の離婚」(4刷、いずれもメタモル出版)「婚活貧乏」(中央公論新社、1万2000部)「みんなの不倫」(宝島社、1万部)など根強い人気がある。仕事では全国を飛び回るなど多忙を極めるが、私生活では30年以上にわたり「田舎暮らし」(神奈川県大磯町)を自ら実践し「ロハス」「地産地消」「食育」の普及に努めている。公式ブログ(https://ameblo.jp/yukihiko55/)。

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