家の所有権は借金肩代わりした弟へ 兄の欲望と焦燥が生んだ争続(上)
F1部品工場を営んでいた父、しかし不景気で…
きっかけは、信用金庫の担当者の一言でした。父親のメインバンクは地元の信金で、50年来の付き合いだったのですが、担当の男性職員が実家を訪れ、こう言い放ったのです。「もう待てません。十分時間はあったはずです。上の方針なので粛々とやらせてもらいます」。
一体何があったのでしょうか。自宅と工場の建物、そして土地には3000万円を極度額とする根抵当権が設定されていたのです。父親はF1向けの部品を製造する工場を営んでいましたが近年、自動車メーカーがF1からの撤退と参入を繰り返すたびに売り上げは乱高下。
プロではなく一般でもレーシングを楽しむ人は一定数存在するのですが、長引く不景気で高い維持費がネックになり、彼らが他の趣味に流れた結果、一般向けの需要も減少し、父親の工場は苦境に追い込まれたのです。新しい設備の導入資金や売掛金回収までの運転資金として信金から度々融資を受けており、融資額は2000万円に達してしまった模様。
もちろん、最初はきちんと返済していたのですが一向に景気が上向かない中、途中から返済が滞り始め、直近1年間はほとんど返済できない状況。再三にわたる督促にも応じることができず、延滞額は積み上がっていくばかりでした。
(根)抵当権とは、返済が滞った場合、所有者である父親の承諾を得ず、信金が土地、建物を売却し、売却額を返済に充てることができる権利です。担当者いわく、すでに支店の稟議(りんぎ)は通過済み。支店長は抵当権実行の許可を出しており、半世紀もの長きにわたり蜜月の関係を続けてきた父親を「捨てる」決断をしたとのこと。
育也さんは今まで何も聞かされておらず、完全に青天のへきれきでした。「もっと早く言ってくれれば、もう少しやりようがあったのに」。父親は口下手で責任感が強く、弱音を吐かない典型的な昭和の頑固おやじでしたが、いよいよ実家を手放すか否かという瀬戸際に追い込まれ、これ以上隠し切れなくなり、育也さんの知るところとなったのです。
にっちもさっちもいかなくなった父親は「実家の行く末」を決めるべく、親戚一同を呼び出しました。育也さんとその妻、叔父、叔母、そして、実家に住んでいる父親、母親、兄が一堂に会した親戚会議を開催したのですが、長い長い沈黙が続くばかり。火中の栗を拾いたくないのは誰しも同じです。
一義的には実家を継ぐ兄が何とかすべきですが、兄も下を向いたまま何も言おうとせず、ただただ時間だけが流れていきました。業を煮やした育也さんは開口一番、こう言い放ったのです。「なんで誰も何も言わないの! このままじゃ信金さんに持っていかれちゃうよ? 本当にそれでいいの?」。
何も決まらないまま、親戚会議はお開きになったのですが、誰もいない場で育也さんは父親に「僕が何とかするよ」と耳打ちし、後日、信金の担当者に直談判したのです。育也さんは、自分が生まれ育った生家を失いたくない一心で借金を引き受けると担当者に伝えたそう。すると、担当者が1つの条件を提示してきました。
それは実家の土地、建物を父親から育也さん名義に変更すること。「父親の借金だけを引き受けると贈与税の対象になる可能性がある。実家の所有権も同時に引き受ければ負担付き贈与になるので大丈夫だ」と。育也さんは、家業を継ぐわけではないのに実家の権利をもらい受けるのは気が引けたそうです。しかし、実家を失うよりはましなので、借金を引き受ける代わりに実家の権利をもらい受けることにしたのです。
とはいえ、次男の育也さんが実家の権利者になったことを兄に知られれば角が立ちます。そのため、兄には借金を肩代わりした事実だけ伝え、所有権の移転登記については伏せておいたのです。
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