家の所有権は借金肩代わりした弟へ 兄の欲望と焦燥が生んだ争続(上)
いずれは兄が継ぐものと、工場はそのままに…
育也さんが育ったのは愛知県豊田市郊外。父親は寸分の狂いも許さない職人技の持ち主で、特に研磨の技術は同業者から一目置かれる存在でした。育也さんにとって自慢の父親で、父親の部品を使った車がサーキットを走る姿を見るのが好きだったといいます。
しかし、育也さんは次男。町工場は長男の拓也さんが継ぐべきだと思い、大学を卒業すると、名古屋市内のIT企業へ就職しました。そして、30歳前に独立し、スマートフォンのアプリを制作する会社を起業。スマホ普及の波に乗って会社は成長し、年商は1億円超、育也さんの役員報酬も1500万円に達したそう。現預金は2000万円を超えていました。
とはいえ、父親の借金を立て替えると、育也さんはほとんど一文無しになるのですが、それでも勇気を振り絞ったのです。
下請けは安定供給が第一です。信用金庫が抵当権実行の通知をしてから、育也さんが2000万円の融資を完済するまで8カ月かかったのですが、その間、工場は稼働しておらず、部品を出荷できずにいました。父親は「再開させてほしい」と取引先に頭を下げて回ったものの相手にされず、取引を打ち切られてしまったのです。
工場の建物は新たに育也さんが所有者になったのですが、幼い頃の思い出が詰まった工場を取り壊したりせず、工作機械、机や椅子、ナットやネジはそのままでした。いずれは、兄が仕事を再開するだろうと思っていたからです。
(露木行政書士事務所代表 露木幸彦)
コメント