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「悪いことだと気付いていたけど…」企業の不祥事に声上げられぬ社員、どうすればいい?

就活や転職、企業人事のさまざまな話題について、企業の採用・人事担当として2万人超の面接をしてきた筆者が解説します。

不祥事発生!となる前に…
不祥事発生!となる前に…

 企業で不祥事が発覚したとき、後日、さまざまな原因分析が行われます。その際、映画やドラマのように、黒幕の親玉がいて、悪意を持って悪事をしていたということは、実際はあまり多くありません。

 基本的には、ほとんどの人は善人であり、悪いことをしたくてしたわけではない。「社内で問題に気付いていた社員はいたが、声を上げられなかった」「悪いことだと思ったが、指摘できなかった」といったこともよく言われます。つまり、どうしようもない流れに飲み込まれてしまい、悪事をせざるを得なかったというわけです。しかし、個々人は善人でも悪事にあらがえないというのは、考えてみれば、こちらの方が、たちが悪いとも言えます。さて、どうすればよいのでしょうか。

「ネガティブフィードバック」嫌う日本人

 まず、一つの原因として考えられるのは、そもそも日本人が、直接的なネガティブフィードバックをとても嫌う民族であるということです。エリン・メイヤー著の「異文化理解力」によれば、日本人の直接的なネガティブフィードバックを嫌う度合いは、世界トップクラスです。

 不祥事のような「いけないこと」を「そんなことをしてはダメだ」と指摘するのは、まさにネガティブフィードバックですから、基本的に多くの日本人は「見てみぬふり」をして過ごしたいと思う傾向が強そうです。「自分ではなく、誰か他の人が過ちを指摘してくれないか」と全員が思っているうちに、悪事は続いていくということです。

「功利主義」台頭の影響

 また、バブル崩壊以降の数十年で、成果主義的人事が浸透したことも、関係しているかもしれません。というのも、不祥事=企業の中における非倫理的行動をするかしないかは、研究によると、その人の功利主義的特性に関係があることが分かっているからです。

 ここで言う「功利主義」とは成果主義≒目標至上主義に似ていて、「目標を達成するためには、手段を選ばない」というようなことです。企業利益などの最終的な目標のためであれば、社会のルールから逸脱していようとも、「ええい、やってしまえ」となるわけです。成果や目標だけでなく、プロセスをどうするかも重視していれば、非倫理的行動による成果は否定されるはずです。

 さらに、これに追い打ちをかけるのが、日本人の協調性です。日本人は昔から集団の「和」を尊ぶ民族です。功利主義者が集まり、かつ、その場が協調的で心理的安全性が高い、何を言っても許容される場であると、そのチーム全体の功利主義性が高まることも分かっています。

「ちょっとルールを逸脱するけど、これをやってしまえば、うまく行くんだけどな」と一人の頭の中だけで考えているうちは、悪事は実行されませんが、心理的安全性の高い場でそういう「悪い考え」を吐露して、「私もそう思っていた」「僕もそれくらい、いいのではないかと思います」となると、「みんなそう思っているなら、やっちゃうか」となっていきます。

「組織への貢献意欲」消滅

 そして、ダメ押しの原因と考えられるのが、この数十年で、景気悪化によって終身雇用がなくなったり、リストラが常態化したりして、個人と組織の信頼関係や忠誠心、愛社精神が崩壊したことです。

 これらの感情は「組織コミットメント」とも言われますが、所属する組織全体に対するコミットメント(≒貢献しようという意欲)がなくなってしまうと、自分の見えている範囲のことだけやり過ごせば、その後、組織全体がどうなろうとも、「後は野となれ山となれ」で、正直どうでもよくなってしまう、ということです。自分や近い人が犯人としてつるし上げられるのでなければ、組織全体が不祥事で追及されても、究極的には構わないのです。

 ここまでに挙げたすべてのことは、要はみんな「利己的」になったということかもしれません。ネガティブなことを言いたくない、手段を選ばず一番効率的に成果を得たい、みんながいいというなら別にいい、自分に関係なければ全体はどうなってもいい。これらは全て、「自分だけよければいい」=「利己的」ということです。

 ただ、これは個人を責めるわけにはいきません。企業側が社内のコミュニティー(運命共同体)的側面を切り捨てていったがために、「会社のためなら、自己犠牲をしてでもなんとかしたい」という気持ちを個人が失った結果だからです。組織が自分を大事にしないのに、個人が組織を大事にしないのは当たり前です。

企業内「コミュニティー」再構築を

 個は個、組織は組織と切り分けて考える風潮になってきた現代においては、ちょっと古めかしい昭和的な主張に聞こえるかもしれませんが、社内の不祥事、個人の非倫理的行動をなくしていくためには、監視や罰の強化よりも、企業内から消えていった「コミュニティー」=運命共同体を再度構築することが、抜本的対策ではないかと筆者は思います。

 もちろん昔のような「滅私奉公」を再現せよというわけではありません。ただ、素朴に考えて、自分が属している組織や同僚に愛着を持ち、自分のことだけではなく、全体のためになる行動をする人が多い組織の方が、事業を成功させるためにも、不祥事を避ける上でも、普通によい組織ではないかと思うのです。組織をそういう場にすることが、改めて、経営者やマネジャーの役割として、重要になってくるのではないでしょうか。

(人材研究所代表 曽和利光)

曽和利光(そわ・としみつ)

人材研究所代表

1971年、愛知県豊田市出身。灘高校を経て1990年、京都大学教育学部に入学し、1995年に同学部教育心理学科を卒業。リクルートで人事採用部門を担当し、最終的にはゼネラルマネジャーとして活動した後、オープンハウス、ライフネット生命保険など多様な業界で人事を担当。「組織」「人事」と「心理学」をクロスさせた独特の手法を特徴としている。2011年、「人材研究所」を設立し、代表取締役社長に就任。企業の人事部(採用する側)への指南を行うと同時に、これまで2万人を超える就職希望者の面接を行った経験から、新卒および中途採用の就職活動者(採用される側)への活動指南を各種メディアのコラムなどで展開している。著書に「組織論と行動科学から見た 人と組織のマネジメントバイアス」(共著、ソシム)など。

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