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筋トレ、食事、睡眠…「身体」のテクニック本隆盛 それらが“自己啓発”となる背景

身体は「最後のユートピア」か

 とはいえ、これを単なる自己啓発の一形態にすぎないとみなし、やおら、高みの見物を決め込むことは誤りです。私たちが最も恐れていることは、社会から不要のレッテルを貼られ、孤立無縁の境遇に「転落」することだからです。

 これはさまざまな人間関係のサービスへの置き換えを含む生活の市場化と、それに伴う消費者的な価値観の浸透が影響を及ぼしています。家族や友人、仕事や報酬といった事柄が、本質的に不安定で、短期的な見通ししか立てられず、重大なトラブルに見舞われた際に支援を期待できないものに変貌しつつある中で「自分(の体)しか頼れない」という素っ気ない、深刻な事態が進行しているのです。

 それゆえ、身体の不安を減らし、身体を心地良くすること、あるいは身体の可能性を引き出し、身体の価値を高めることが、未来を切り拓くための最も大切な「資源開発」と捉えられるようになるのです。この心理的メカニズムは、FX、投資信託、外貨預金といった資産運用への傾倒とまったく同じです。老後資金への懸念がいわば健康寿命への関心に変わっただけで、「良好なコンディションで最高のパフォーマンスを発揮できる健康体」という比類なき価値を創造する「身体運用」への信奉なのです。

 前掲書でアダムスキーが「どんな才能も決意も、体に不調があれば、役に立たないこと」もあると言っている通り、体のささいな不調といったトラブルが実存的な危機につながりやすくなっているのです。「自分が維持したいステータス」という高度から失速してしまわないためにも、危機管理の観点から不断のメンテナンスが不可欠であり、そのような身体運用に努めている限りは大惨事を回避できるというロジックも含まれています。これによって、社会全体を覆う「どうなるか分からない」という不安を和らげることができるのです。

 もちろん、科学的な知見が万能ということはあり得ません。不確実性をゼロにすることは到底不可能です。しかし、もはや私たちは多かれ少なかれ、このような構造のうちに生きているのであり、心に巣くう寄る辺なさを解消できない以上は、身体運用をばかにしたり、身体運用に対して無関係を装ったりすることはできないのです。

 結局のところ、ヒトやモノが絶えず流動化し、硬直性がリスク化する不安定な世界において、私たちはヒトやモノを適切に操作する強力な中央センターの役目を課されていますが、快楽と錬金の宝庫となることが期待されている「身体という自然」を「最後のユートピア」に変えることに淡い希望を託さざるを得なくなっているのかもしれません。

(評論家、著述家 真鍋厚)

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真鍋厚(まなべ・あつし)

評論家・著述家

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。著書に「テロリスト・ワールド」(現代書館)、「不寛容という不安」(彩流社)、「山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義」(光文社新書)。

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