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筋トレ、食事、睡眠…「身体」のテクニック本隆盛 それらが“自己啓発”となる背景

書店に行くと「食事や睡眠を変えるとパフォーマンスを最大化できる」といった、自己啓発的な内容の健康本を多く見かけるようになりました。その背景について考えます。

自己啓発的な健康本が増えている?
自己啓発的な健康本が増えている?

「最高のパフォーマンスが発揮できる」と銘打った筋トレや食事、睡眠、瞑想(めいそう)のテクニックに関する本を最近、書店などでよく見かけます。世界的な拡大を見せているヘルスケア市場を踏まえれば、超長寿化時代を見据えた健康志向の高まりが背景にあるともいえそうですが、とりわけ興味深いのは、身体機能の活性化と成功法則を結びつけた自己啓発の側面があることです。

 一昔前であれば、精神世界系の領域にあった「ポジティブシンキング」のような行動変容とその思考が、今や、脳や筋肉、腸といった体の特定部位に潜むポテンシャルを目覚めさせることで、人生を良好なものに変化させるという新しい形態へと移行しているのです。

「健康資本」という付加価値

 例えば、世界トップクラスのアスリートなどの睡眠管理を行っている「スポーツ睡眠コーチ」のニック・リトルヘイルズは著書で「私のメソッドを生活に取り入れた人は、私にも本人の目にも明らかな、大幅な改善がみられる。気分がよくなり、回復力が高まり、そして何よりも大切なパフォーマンスのレベルが向上する」(「世界最高のスリープコーチが教える 究極の睡眠術」、鹿田昌美訳、ダイヤモンド社)と述べています。

 また、トップエグゼクティブの健康指導を行っている、世界的に人気のヘルスドクター、アイザック・H・ジョーンズは元プロサッカー選手・石川勇太さんとの食事術に関する共著で「食事を変えることで自分のパフォーマンスを最大化させ、仕事の生産性を高めると同時に、ウイルスや感染症に負けない免疫力を身につけることになる」(「THE EAT 人生が劇的に変わる驚異の食事術」、扶桑社)と述べています。

 私たちが日々直面しているストレスフルな社会においては、精神的に強い人を指す「鋼メンタル」という言葉に象徴されるように、心身のタフネスさには「健康資本」とも言うべき資産的な付加価値が与えられています。

 つまり、技術革新と価値の多様化という現代の荒波をさながら、サーフィンのようにうまく乗りこなすためには、病気になりにくい体づくりを目指すとともに、自分の体を常に快活な状態に維持する必要があるのです。先述のジョーンズが「健康というスキル」という言い方をしていることからもそれがよく分かります。健康は自ら習得すべきものであることが示唆されています。

 かつて、社会学者のアンソニー・ギデンズは、現代を生きる私たちは「自分自身の身体をデザインする責任を負うようになった」と表現しました(「モダニティと自己アイデンティティ 後期近代における自己と社会」、秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳、ハーベスト社)。

 以前のような伝統的な社会では、いちいち、「この慣習や風習は正しいのか、間違っているのか」といったことを考えて軌道修正することはありませんでしたが、技術革新や価値観の多様化が進む現在では、すべての知識や制度を支える根拠は常に仮説の形を取らざるを得ません。ギデンズはこれを「根本的懐疑の原理」と呼び、「私たちは社会環境がポスト伝統的なものになればなるほど、そうするように強制されることになる」(前掲書)と結論付けています。

 そのため、私たちは「不確かさ」という包囲網から自らを守ることが必要になるのです。仮に1つの臓器やバイオリズムを改善するだけで安心を得られるのであれば吉報でしょう。しかも、それが睡眠障害といった当事者の悩みとリンクしている場合はなおさらです。自然療法士のフランク・ラポルト=アダムスキーが「片頭痛、血行不良、肥満、不眠など、あげればきりがない体の機能不全のほとんどが“たったひとつ”の基本的な要素、すなわち、『腸の流れ』によって決まる」と主張しているのが好例です(「腸がすべて 世界中で話題!アダムスキー式『最高の腸活』メソッド」、沢田幸男・森敦子訳、東洋経済新報社)。

 科学的知見に基づくマニュアルによって、「人生を自分でコントロールしている」という確かさが感じられ、気分を上向きにできるという点にこそ、昨今の身体機能の活性化と成功法則を結びつける自己啓発的な効能があるのです。

 従来型の成功法則といえば、「引き寄せの法則」など、ニューエージ(宇宙や生命といった大きな存在と自己とのつながりや、人間の持つ無限の潜在能力を強調し、個人の霊性・精神性の向上を目指す思想)のようなものが定番でしたが、健康経営や「人生100年時代」という決まり文句が表しているように、健康の科学が政治経済において支配的になるに従って、成功法則が筋トレ、食事、睡眠、瞑想…といった、より身体的なものへとシフトしたと見なすことができます。

 つまり、これまで、運やツキといった精神的なエネルギーに頼っていた、ある種の霊性(神のたまもののような不思議な力)ともいうべき領域が、脳や神経、筋肉、胃腸などの身体部位に潜むポテンシャルの開花といった「健康資本」の価値増殖を秘めた「隠された霊性」に取って代わったのです。

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真鍋厚(まなべ・あつし)

評論家・著述家

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。著書に「テロリスト・ワールド」(現代書館)、「不寛容という不安」(彩流社)、「山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義」(光文社新書)。

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