「結婚は?」「子どもは?」 親のおせっかい、もはやホラー? 「帰省ブルー」が“正常な生存本能”と言えるワケ
なぜ帰省時にストレスを感じる人が多いのかについて、評論家が解説します。

例年、お盆の時期に「帰省ブルー」が話題になります。これは実家や義実家に行く前に憂鬱(ゆううつ)になったり、強いストレスを感じたりすることを表す言葉です。
各種メディアや女性向けサイトの調査では、約7割の人が「帰省ブルー」を感じており、その主な原因は義理の実家での気疲れ、家事や手伝いのプレッシャー、移動のストレスだといわれています。
評論家の真鍋厚さんによると、その深層を掘り下げると、「伝統儀礼=謎行事」、「孫を欲しがる親=ヒトコワ(人怖。ホラー作品において幽霊ではなく人間の怖さを描いたもの)」という現代ホラーでおなじみの図式が当てはまるといいます。なぜ帰省時にストレスを感じる人が多いのかについて、真鍋さんがひも解きます。
信仰なき「イエの型」…残された不気味な慣習の正体
かつてのお盆には「ご先祖様(祖霊)を迎える」という聖なる意味がありました。しかし、そのような信仰が消え去り、「イエ(土地や家業の継承、先祖祭祀、戸主の強い権限が特徴的な家族観)」に対する意識も持ちづらくなった現代において、残されたのは中身のない「型(形式)」だけとなりました。
結婚が家と家のつながりではなく、個人と個人のつながりとして認識されるようになるにつれて、「結婚しているから」という理由だけで義理の親から帰省を求められることは、不合理なこととして受け取られるようになっていきました。
また、田舎であればあるほど、「昔からそうだから」「ここではみんなやっているから」という「謎の風習」への参加を求められることも少なくありません。「女性だけが台所に集まって大量の食事を作る」という古い役割分担の行事などはまさにその典型でしょう。
つまり、共通の信仰や「イエ」意識が抜け落ちているにもかかわらず、「型(形式)」だけで動いている伝統的な慣習は、いわば「慣習のゾンビ」であり、そこに巻き込まれる側にとっては不気味な“怪異”でしかありません。これは民俗ホラーにおける「村のおきて」そのものです。
「イエ」意識が強固に存在していた時代、人は、「◯◯家の人間」という身分を重視し、良くも悪くもそのパズルのピースとして収まっていました。しかし、「イエ」意識が衰退した結果、墓参りや親戚の集まりは、「たまたま遺伝子が似ているだけの、価値観の異なる見知らぬ大人たち」との異文化交流(摩擦)の場に様変わりします。
若者たちが「行く理由が分からない」「精神的に削られる」と感じるのは、感性の問題ではなく、極めて合理的な反応と言えます。ましてや血のつながりさえない者にとっては、苦痛以外の何物でもないでしょう。
100%の善意が凶器に?
さて、実の親になると、ここに「ヒトコワ」的な要素が加わります。「自分を愛していると固く信じている人間からの重圧」だからです。
親世代からの「結婚は?」「子どもは?」「将来どうするの?」という言葉には、悪意が1ミリも含まれていません。100%の善意と心配から発せられています。悪意であれば「怒る」「反論する」という防衛ができますが、「善意という狂気」の前では一切の防衛機制が無効化されます。
どれほど価値観が異なり会話がかみ合わなくても、血縁という「逃げられない関係性」と「実家」という閉鎖空間に縛られてしまうのです。意思疎通が困難な相手と笑顔で同じテーブルを囲み続けなければならない時間は、心理学的に見れば相当密度の高いヒトコワ(親怖)体験となり得ます。
もちろん、親にとってみれば、結婚や子ども、将来についての質問は、悪気のない「親密さの確認」でしかないかもしれません。ですが、多様な生き方に開かれ、個人主義の世界に浸ってきた子世代にとっては、「自分のアイデンティティーに土足で入ってくる」ように感じられます。
特にSNS時代の若者は、自分の価値観に合った人間関係や情報を選択し、心地よい距離感を保つ、チャットやDM(ダイレクトメッセージ)などの「非同期なコミュニケーション」に慣れています。実家に帰省した瞬間、その選択権は奪われてしまいます。
自分の子ども時代を知る親からは「昔のままの子ども」として扱われ、積み上げてきた大人のアイデンティティーが上書きされてしまう。この「過去の役割への強制」が、強い心理的ストレス(ブルー)を生み出すのです。
実家のドアをまたいだ瞬間、自分が普段生きている「個人の尊厳が守られる世界」のルールが途絶え、古(いにしえ)の価値観で時が止まった「過去の異界」に閉じ込められます。まさに「異界としての実家」です。
「異界としての実家」から身を守る「セパレート帰省」
このように見ていくと、「帰省ブルー」を「親不孝」や「冷たい人間が増えた」と片付けることが誤りだということが分かります。むしろ、かつてのように「イエの義務」に無条件に従うのではなく、「自分にとっても親にとっても、健全な距離とは何か」を各人が模索し始めた結果だといえます。
最近では、夫婦がそれぞれ自分の実家に別々に帰省する「セパレート帰省」や、実家に泊まらず、近隣のホテルに宿泊して滞在時間を調整する「ホテル帰省」が注目されています。また、宿泊数を減らし、日帰りや短期滞在で物理的な距離と負担を減らす動きもあります。
これらは家族の形骸化などではなく、信仰と「イエ」を失った現代人が血縁と共存するために編み出した、新時代の打開策であり「関係性のアップデート」の試みなのです。
近年、若者を中心に、長距離の移動手段として高速バスの利用が増えていますが、帰省時の移動手段としても重宝されているそうです。帰省費用を節約するための工夫として「高速バスの利用」(47.8%)が最多となったというデータもあります(WILLER MARKETING「2026年夏(お盆)の帰省コストに関する最新アンケート調査」)。
「帰省ブルー」に加えて物価高が追い打ちをかけ、「今年は帰らない」という決断をする人も少なくありません。家計を圧迫する出費までして、疲れるどころか、気分を害され、精神が不安定になるなんて、どう考えてもコストパフォーマンス(コスパ)が悪すぎるからです。
これまで「帰省ブルー」というマイルドな言葉で包み隠されてきた現象の正体は、「かつての聖なる伝統の残骸(民俗ホラー)の中で、善意に満ちた不可解な圧力(ヒトコワ)にさらされる現代人の不安」だったのです。
この現代特有の帰省体験は、「民俗ホラー(形骸化した土地のルール)」と「ヒトコワ(善意という名のサイコホラー)」が最悪の形で重なり合う、新しい怪談、恐怖体験として語られた方が、かえってさまざまな“怪異”のメカニズムを解き明かす上で理にかなっているのです。
単に「実家に帰る」という行為が、心休まる帰郷ではなく「何か恐ろしいことが起きる異界に足を踏み入れること」と同義になってしまった現代。人々が帰省を回避し、距離を置こうとするのは、あまりにも正常な生存本能なのかもしれません。
(評論家、著述家 真鍋厚)







コメント