「年を取る=未来が縮む」は誤り? 80歳でサックスを始めた人が持っていた“2つのきっかけ”
年を取っても新しいことにチャレンジし続ける人の特徴について、高齢者研究のNPO法人の理事長である筆者が解説します。

俳優の風吹ジュンさんが出演する「中楽坊」(ちゅうらくぼう)という高齢者住宅のテレビCMで、「年を取るとは、未来」というフレーズが登場します。考えてみればやや不思議な言葉です。
年を取るということは、生きている時間が減っていくことなので、「未来」は小さくなっていきます。体力は低下し、健康も損ないがちになり、役割や肩書、それに連動する報酬や称賛はどんどん得られなくなってきます。
物事の終わりと始まりは一貫
博報堂生活総合研究所が2026年3月、“生活元年”という考え方を発表しました。人生で新しい行動や好みが始まる年齢の平均のことだそうで、例えば、脂っこい食事や食べすぎ・飲みすぎの後で、胃もたれするようになる「胃もたれ元年」は、45歳10カ月。立ち上がるときに「よっこいしょ」「どっこいしょ」と言い始める「よっこいしょ元年」は52歳4カ月。優先席に座ってもよい年齢になったと思い始める「優先席元年」が64歳8カ月といった具合です。
この調査の関連で、ある行動ができなくなったり、したくなくなったりする“生活寿命”の調査も行われており、例えば、大盛りを注文できなくなる「大盛り寿命」は42歳3カ月、合コンに行かなくなる「合コン寿命」が34歳5カ月、信号が点滅を始めたら渡ることをためらうようになる「信号ダッシュ寿命」50歳0カ月などとなっています。
目の付け所と表現の面白さはさすがですが、考えさせられるのは、何かが終わるときに(そのすぐ後に)、何かが始まっているということを明らかにしていること。深酒を控えるようになる「深酒寿命」が42歳で訪れると、「休肝日元年」が43歳くらいでやってきます。50歳くらいで「冒険旅行寿命」が来たら、その後の52歳くらいで「ガイドツアー元年」となります。
つまり、人生は「終わること」と「始まること」が無関係に起こるのではなく、一連のこととして起こっているという風に捉えられます。
高齢期にもさまざまな「元年」がある
「〇〇元年」があれば、高齢期であっても未来を感じることができるでしょう。私が知っている人の中にも、80歳でサックスを始めた人がいます。今年、90歳になり、先日の七夕には、70人ほどの前で演奏を披露されました。
他にも、書道を始めて作品展に出品するようになり、今や高段者になった人もいます。学習団体を立ち上げて、数十人の同世代の学ぶ場づくりに奔走しておられる人もいます。
年を取ってやらなくなること、できなくなることは確かにありますが、かといって、することが減っていく一方というわけではなく、始まることもあれば、年を取って「以前よりやることが増えて忙しくなった」という人だっています。
何かを始めるには、2つのものが必要です。一つは、始めるための「きっかけや機会」。もう一つは、それを続けるための「動機」です。
たまたま「一緒にどう?」と誘われ、「ちょっと手伝ってよ」と頼りにされ、ちょっとだけならと、道具を貸してもらってやってみたら、皆に筋がいいと褒められた。そうしたことが、始めるきっかけになります。
そして「次も来てほしい」と言われた、上達を褒めてもらった、待ってくれている仲間ができた、そうしたことが、続ける動機になります。
どちらにも、人との関わりが大きく影響しています。もちろん一人でも何かを始められるでしょうが、周囲に人がいる方が始めやすく、続けやすい。高齢期に新しいことを始められるかどうかは、本人の意欲や能力だけでなく、その人の周囲にどのような人がいるか、どんな関わり方をしているかによっても大きく変わるはずです。
高齢期は、新しいことを始めるのに不向きな時期だと思われがちです。しかしむしろ、うってつけの時期かもしれません。若い頃に比べれば時間もお金もありますし、若い頃のように人と競ったり、比べたりせず、互いに褒め合いながら、純粋に楽しめるようになります。これまで続けてきたものを終え、それによって生まれた時間や余白に、新しい「元年」をつくっていくようにすれば、風吹ジュンさんの「年を取るとは、未来」という言葉も、不思議ではなくなります。
未来とは、残された時間の長さではなく、これから始まるものがあること。そして、「年を取るとは、未来」は、特別に意欲的な人だけに当てはまる言葉ではありません。きっかけと機会、そして一緒に喜んでくれる人がいれば、誰にでも当てはまることなのだと思います。
(NPO法人・老いの工学研究所 理事長 川口雅裕)

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