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「さっさと帰って」帰省警察と「コロナは風邪」集会参加者 感覚の違い、どう乗り越える?

世の中のさまざまな事象のリスクや、人々の「心配事」について、心理学者である筆者が解き明かしていきます。

新型コロナウイルス流行下でも選挙集会を開いたトランプ米大統領(2020年6月、AFP=時事)
新型コロナウイルス流行下でも選挙集会を開いたトランプ米大統領(2020年6月、AFP=時事)

「なんで、この時期に東京からくるのですか?」「さっさと帰ってください」などと書かれた中傷ビラが、東京から青森市に帰省した人の実家の玄関先に置かれたとして、先日、話題になりました。新型コロナウイルスを巡っては、「自粛警察」「マスク警察」の出現が指摘されていましたが、今回は「帰省警察」と呼ばれているようです。一方で、「コロナはただの風邪」と主張する人が、東京・渋谷の街でマスクなしの集会を開いたことも、8月上旬に報道されました。

「自粛警察」や「帰省警察」も、この時期にマスクなしの集会に参加する人たちも、どちらも多くの人にとっては「何を考えているんだろう?」という存在でしょう。彼らの心理を考えてみたいと思います。

リスクの許容レベルが変わる要因

 皆さんは、飛行機が墜落する確率がどのくらい低ければ「その飛行機に乗ってもいいな」と思えるでしょうか。例えば、2018年には、商用機のフライトは約3800万回あり、そのうち15回の墜落事故が起きています。つまり、自分が乗った飛行機がたまたま墜落してしまう確率は「約250万分の1」ということになります。

 同じ乗り物ではありませんが、スペースシャトルは全部で135回打ち上げられ、そのうち2回の事故で宇宙飛行士が帰らぬ人となりました。自分が乗ったスペースシャトルがたまたま墜落してしまう確率は「67.5分の1」。飛行機と比べると、実に3万7000倍も危ない乗り物ということになります。

 それでも、宇宙飛行士たちは未知の冒険と名誉のために宇宙に向かおうとするし、平凡な私たちは「墜落したらどうしよう」なんて考えて、ビクビクしながら飛行機に乗り込みます。この違いはどこから生まれてくるのでしょうか。

 リスクの感じ方や許容レベルは、性格、危険への対処能力の自己評価、危険な行為によって得られるメリットなど、さまざまな要因によって変わります。そして、これらの要因の中で比較的影響が大きいのが、リスクへの関わり方が「能動的」か「受動的」かの違いです。

 自分の意思で進んでリスクのある行為をする場合は「能動的」、誰かの行為によって上がるリスクを受け入れる場合は「受動的」です。自ら進んでスペースシャトルに乗る宇宙飛行士と、何かの用事で仕方なく飛行機に乗る人の感覚の違いは、ここから来ていると考えられます。

 米国の原子力エネルギーとリスク分析の専門家であるチョンシー・スターによれば、能動的な人と受動的な人のリスク許容レベルは、ざっくり1000倍ほど違うそうです。考えや行動のもとになるリスクの感覚が1000倍も違えば、お互いの理屈や行為は簡単には受け入れられません。従って、能動的な人と受動的な人がお互いの主張をぶつけ合っているけど、議論はずっと平行線という構図はいたるところにあります。

「原子力発電所を建設する人と受け入れる住民」「喫煙者と受動喫煙者」「土地開発事業者と環境保護団体」「ギャンブラーとその家族」「JR東海と静岡県知事」などなど。この感覚の違いは、例えば、原発を建設する人が「シビアな事象は1000年に1回ぐらいに抑えられればいいや」と思っていたとしても、受け入れる住民は「いやいや、100万年に1回ぐらいにしてくれなきゃ困る」と思っている計算になるので、折り合いをつけるのがとても難しいのです。

想像力を持って対話を

リスク許容レベルの違い
リスク許容レベルの違い

 さて、この構図を今回のコロナ禍に当てはめてみましょう。感染リスクが高い場所に自ら進んで行くような人たちは、そこでの活動に能動的に関わっています。一方で、営業中の店舗や帰省した人に嫌がらせをするような人たちは、他の人の行為によって上がるリスクを受動的に受け入れざるを得ない人たちです。

 どちらも関係ない人から見たら、「なんでそんなことをするんだろう」と理解に苦しむかもしれませんが、あなたがもし、両者のちょうど中間的な立ち位置にいたとしても、自分よりそれぞれ、およそ32倍もイケイケな人たちと、32倍も事態を重く見ている人たちなので、理解できなくて当たり前かもしれません。

 このように、個人のリスクに対する感覚はリスクとの関わり方によって、少なくとも1000倍程度、他の要因も加われば、さらに大きく違う場合があります。しかし、社会にまん延する感染症の場合は、個人の感覚にかかわらず、みんなの行為の結果である同じリスクを社会全体で共有しなければなりません。従って、完全な意見の一致は不可能としても、社会全体でコンセンサスを得ようとする努力は必要です。

 そのためにはまず、人間の心の仕組みを踏まえて、埋めなくてはいけない感覚の違いが少なくとも1000倍程度あることを多くの人が知る必要があります。そして、自分よりも1000倍も怖いと感じたり、逆に1000倍もイケイケだったりする人たちがいることに対して、想像力を持つ必要がありそうです。

 お互いの気持ちに対する想像力が重要なのは、リスクの感覚に限ったことではないかもしれません。みんなが自分とは違う感覚や事情や考えを持っています。これを「自分の物差し」に当てはめて「理解できない」と批判するのではなく、お互いに想像力を持ってポジティブな対話を行い、ギスギスせずに過ごすことが、コロナ禍を乗り切るために私たちに求められていることかもしれません。

(名古屋大学未来社会創造機構特任准教授 島崎敢)

島崎敢(しまざき・かん)

名古屋大学未来社会創造機構特任准教授

1976年、東京都練馬区生まれ。静岡県立大学卒業後、大型トラックのドライバーなどで学費をため、早稲田大学大学院に進学し学位を取得。同大助手、助教、国立研究開発法人防災科学技術研究所特別研究員を経て、2019年より、名古屋大学未来社会創造機構特任准教授。日本交通心理学会が認定する主幹総合交通心理士の他、全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者で、3人の娘の父親。趣味は料理と娘のヘアアレンジ。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる〜」(光文社)などがあり、「アベマプライム」「首都圏情報ネタドリ!」などメディア出演も多数。博士(人間科学)。

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