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【南海トラフ地震】「臨時情報」発表は“空振り”じゃない 災害リスクの専門家が主張するワケ

南海トラフ地震臨時情報のような、不確実な災害リスク情報との向き合い方について、リスク管理の専門家が解説します。

「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)の発表後、静岡市のホームセンターでは非常食などの地震対策用品が品薄に(8月9日、時事通信フォト)
「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)の発表後、静岡市のホームセンターでは非常食などの地震対策用品が品薄に(8月9日、時事通信フォト)

 8月8日に日向灘でマグニチュード7.1の地震が発生し、政府は同日、「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)を発表するとともに、特別な防災対応をするよう呼び掛けました。その後、大きな地震は発生せず、同月15日に防災対応の呼び掛けが終了しましたが、SNS上では「空振りだった」「科学的根拠はない」「経済的損失や混乱を招いた」など、批判的な声が多く上がりました。

 事故防止や災害リスク軽減に関する心理的研究を行う、近畿大学生物理工学部・准教授の島崎敢さんは、8月の南海トラフ地震臨時情報の発表は、大規模災害に対する備えを再認識する上で良い機会になったと主張します。南海トラフ地震臨時情報のような、不確実な災害リスク情報との向き合い方について、島崎さんが解説します。

臨時情報の発表は「素振り」

 南海トラフ地震臨時情報の発表後、観光地では宿泊のキャンセルが相次いだほか、地域によっては水や食料品の買いだめが起きるなど、社会に少なからぬ混乱が生じました。

 そのため、ネット上では「空振りだったじゃないか」「科学的根拠はあるのか」「経済的損失や混乱をどうしてくれるんだ」「予算獲得のための誇張ではないのか」など、さまざまな批判の声が上がりました。

 しかし、果たして今回の対応は本当に「空振り」だったのでしょうか。そして、私たちはこのような不確実な災害リスク情報と、どのように向き合えばよいのでしょうか。一連の騒動は、この重要な問いを改めて考える機会を与えてくれたのかもしれません。

 まず、「空振り」という表現について考えてみましょう。野球で言う「空振り」は、ピッチャーが投げたボールをバッターが打てなかった状況を指します。しかし、今回の場合、そもそもボール(地震)は投げられていません。言葉通りの意味で考えるなら、本当の「空振り」とは「地震が来たけど、うまく対処できず被害が大きくなってしまうこと」だと言えます。

 むしろ、今回の出来事は「素振り」と捉えるべきかもしれません。素振りは、本番に備えた練習です。今回の対応は、南海トラフ地震が実際に発生した際に備えて、社会全体で行った「素振り」だったと言えそうです。

 素振りを重ねることで、実際の試合(災害)で「ヒット」を打つ(適切に対応する)確率が上がります。今回の経験を通じて、多くの人々が災害への備えの重要性を再認識し、具体的な行動計画を立てる機会になったのであれば「空振りをして損をした」のではなく「素振りをして強くなった」と捉えるべきなのかもしれません。

災害リスク情報は外れることもある

 ここで、「リスク」という言葉の本質について改めて考えてみましょう。リスクとは、単に「危険」を意味するのではなく「不確実性」そのものを表しています。言い換えれば、何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない状況のことです。

「絶対に起こらないこと」や「必ず起こること」はリスクではありません。0と1の間のどこかにあるのがリスクです。だから、リスク情報は、本質的に「外れるかもしれない」ものなのです。

 この視点に立つと、リスク情報が「正しくなかった」とか「科学的根拠がない」などと批判することは、少し的外れかもしれません。私たち情報の受け手は、このようなリスク情報の本質をよく理解する必要があります。

 ところで皆さんは、もし家族や大事な人が「100回に1回、墜落する飛行機に乗る」と言ったらどうしますか。恐らく、多くの人は「危ないから乗らない方が良い」と助言するのではないでしょうか。

 墜落のように重大な結果が1%の確率で起きるというのは、大部分の人が許容できるリスクの範囲を超えています。実際、現代の航空機は100万回のフライトに1回以下という極めて低い確率でしか墜落しないといわれています。だからこそ、私たちは安心して飛行機に乗ることができるのです。

 しかし、こんなに危ない飛行機でも99%は墜落せずに無事にフライトを終えるのです。家族や大事な人も無事に帰ってきて「ほら大丈夫だったじゃないか」と言うかもしれません。しかし、あなたは次もきっと「危ないから乗らない方が良い」と言うはずです。

 では、地震や洪水、土砂災害などの自然災害のリスクはどうでしょうか。例えば、その場にとどまったら1%の確率で津波や洪水、土砂崩れに巻き込まれるのであれば、それはかなり危険な状況です。だから警告を伝える側は「危ないよ」と言わざるを得ません。

 この場合も99%は何事も起きないわけですが、それに対して「空振りだったじゃないか、どうしてくれるんだ」と言うべきでしょうか。致命的なことが起きる確率が50%や99%になるまで警告を待つべきでしょうか。

 実は8月の「南海トラフ地震臨時情報」は、事前に決められた基準に基づいて、ほぼ機械的に発表されています。もちろん、確認作業や多少の議論はありましたが、「南海トラフ地震の震源域でマグニチュード7以上の地震が発生した場合」は発表するという基準が事前に決められており、この基準に従って発表が行われたのです。

 このようなやり方は、他の多くの防災情報の発信でも採用されている方法です。なぜなら、不確実性のあるリスク情報を発信する人は、常に「発信したが何も起きなかった」と「発信が遅れて被害が大きくなってしまった」という相反する状況のジレンマに悩まされているからです。

 そして、いずれも社会から強い批判を受けるため、大きなプレッシャーにさらされていています。そこで採用されているのが、事前に決められた客観的な基準に基づいて情報を発信する方法です。これにより、個々の判断者への過度なプレッシャーを軽減し、一貫性のある情報発信を可能にしているのです。

【画像】これが「南海トラフ地震臨時情報」で生じた“影響”です

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島崎敢(しまざき・かん)

近畿大学生物理工学部准教授

1976年、東京都練馬区生まれ。静岡県立大学卒業後、大型トラックのドライバーなどで学費をため、早稲田大学大学院に進学し学位を取得。同大助手、助教、国立研究開発法人防災科学技術研究所特別研究員、名古屋大学未来社会創造機構特任准教授を経て、2022年4月から、近畿大学生物理工学部人間環境デザイン学科で准教授を務める。日本交通心理学会が認定する主幹総合交通心理士の他、全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者で、3人の娘の父親。趣味は料理と娘のヘアアレンジ。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる〜」(光文社)などがあり、「アベマプライム」「首都圏情報ネタドリ!」「TVタックル」などメディア出演も多数。博士(人間科学)。

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