「知的な遅れがあります」と告げられ目の前真っ暗に…26歳自閉症の息子の母が“24年前の自分”に伝えたいこと
自閉症児を育ててきた筆者が、医師から初めて子どもの障害を告げられたときのことを振り返ります。子どもの障害に悩む親に伝えたいこととは。

「お子さんに障害があります。知的な遅れがあります」
医師のこの一言で、親の人生は大きく揺さぶられます。子どもは昨日と何一つ変わっていません。朝起きて、食事を取り、笑い、学校へ行く――。その姿は昨日までと同じです。
それなのに、親の目に映る世界だけが、一瞬にして変わってしまうのです。
「子どもは普通に育つ」と信じて疑わなかった未来。中学、高校、就職、結婚…。漠然と思い描いていた人生設計が、音を立てて崩れていくような感覚に襲われます。
診断書に書かれた数値はただの数字かもしれません。
しかし親にとっては、その数字がわが子の人生すべてを決めてしまうように感じられます。
胸が締めつけられ、息が苦しくなる。食事が喉を通らない。眠ろうとしても眠れず、「どうしてうちの子が」という思いだけが頭の中を巡り続ける――。そんな日々を過ごす親は決して少なくありません。
わが子を違う存在として見てしまう
私もそうでした。息子は現在26歳ですが、2歳3カ月のとき、知的障害を伴う自閉症があると精神科で正式な診断を受けました。その直後、目の前にいる息子は何も変わっていないのに、「障害児」という言葉だけが私の頭の中で何度も何度も繰り返されました。それまで「少し不器用な子」「ちょっと変わったところがある子」と思っていた行動が、すべて障害と結び付いて見えるようになりました。
笑顔を見るたびに、「この笑顔は大人になっても続くのだろうか」と考えてしまいます。遊んでいる姿を見ても、「この子は将来、自立できるのだろうか」という不安が頭をよぎりました。
子どもは何も変わっていないのに、親だけがわが子を違う存在として見てしまうことに気付き、また自分を責めてしまいます。
「障害があっても、この子はこの子なのに」
そう頭では分かっているのです。でも心が追いつきません。それが診断直後の親の現実です。
だから、「いつまでも落ち込んではいけない」「早く受け入れなければ」と自分を追い込まないでください。
親は子どもの障害を受け入れる前に、自分が思い描いていた未来を一度失います。
その未来を失った悲しみを味わう時間は、決して弱さではありません。涙が止まらない日があってもいい。何もする気になれない日があってもいい。
その苦しみは、わが子を心から愛している証でもあるのです。
診断が子どもを支援するスタートラインに
ただ、一つだけお伝えしたいことがあります。もし気付かれないまま、「普通の子」として苦しみ続けていたらどうだったでしょう。
授業についていけない。友達と同じようにできない。頑張っても結果が出ない――。その理由が誰にも分からないまま、「努力が足りない」「やる気がない」と言われ続けたら、その子は自分自身を責めるようになります。
「自分はダメな人間なんだ」
その思いが積み重なることの方が、私はずっと怖いと思っています。
障害そのものよりも、自分を否定し続けてしまうことの方が、子どもの心を深く傷つけることがあるからです。だから、診断はゴールでも宣告でもありません。ようやく、この子に合った支援へとつながるためのスタートラインです。
もちろん、今この瞬間にそう思えなくても構いません。私も診断を受けてから何年もの間、心は晴れませんでした。泣いては落ち込み、「どうして」と問い続ける毎日でした。それでも時間がたつにつれ、少しずつ気付いたことがあります。私を苦しめていたのは、息子ではありませんでした。「普通でなければ幸せになれない」という思い込みでした。
その呪縛から少しずつ解放されたとき、初めて息子をありのまま見ることができるようになりました。人と比べなくなり、この子の歩幅で人生を歩めばいいと思えるようになったのです。
診断を受けたあの日の私に、「いつか笑える日が来る」と言っても、きっと信じなかったでしょう。
でも今なら言えます。絶望は永遠には続きません。苦しみの中にいるときは、一生このままのように感じます。けれど、人の心は少しずつ前へ進む力を持っています。今は無理に希望を探さなくてもいいのです。
ただ今日一日を生きる。泣きたい日は泣く。誰かに話したい日は話す――。それだけで十分です。
そしていつの日か、診断名ではなく、わが子自身の笑顔をもう一度真っすぐ見つめられる日がきっと訪れます。
今、診断を受けて苦しんでいる保護者の皆様に伝えたくて書いてみました。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)






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