「障害のある子は天使」なんて本当に言わないでほしい 「吐き気がするほどつらい」現実…“天使”の言葉に追い詰められた母親の日々
とても悲しかった「初聖体」の日
この記事を執筆していた日、ある会合に行く予定がありました。それは「初聖体(はつせいたい)」という、カトリックの子どもたちが祝福を受ける式に関するものです。
実は、うちの息子も幼児洗礼を受け、小学校3年生のときに、同じように初聖体の祝福を受けました。その後の会で、祝福を受けた子どもたちが一人ずつあいさつをしました。
他の子どもたちは、みんな「ありがとうございます」「これからも頑張ります」と立派に話していた中で、うちの息子はというと、自分のテーブルの下にあった「◯◯さん(息子の名前)、おめでとうございます」と書かれたカードを読んで終わってしまったのです。
あのとき、私はとても悲しかったです。「なんで他の子のようにあいさつができないの?」「何、机の上のカードに書かれている文章を読んでいるの」「どうしてこの子だけ……?」と思いました。
定型発達の子どもたちの家族が、未来を信じてニコニコしている姿を見ると、うらやましさで胸が苦しくなります。もちろん、今は息子のことが大切で、生きがいになっています。けれども、過去には「この子がいなければ」と思うほどに追い詰められたこともありました。だからこそ、「天使」という言葉で包み隠してほしくない。もっと現実を見てほしいのです。
最近、私には「疾病恐怖」があります。もし私が病気になって、息子を置いて先に逝ってしまったらどうしよう――。そんな恐怖が年々、強くなってきています。
周りの同級生たちは、子育てを終え、孫と遊び、余生を楽しんでいる。一方の私は、まったく違う世界に生きています。孤独感や不安に押しつぶされそうになることもあります。でも、きっと、こんな気持ちを抱えている親は私だけではないはずです。
「子どもが生まれたら、野球を一緒にやりたい」「ピアノを習わせたい」――。そんな“子育ての夢”を、一度リセットしなければならない。それができたとき、少しずつ「受容」に近づけるのではないでしょうか。
私は、リセットはしました。でも、まだ「比べる病」には苦しんでいます。
だからこそ、どうか、障害のある子を「天使」として美化しないでほしい――。彼らは特別ではなく、“ただの人間”です。それ以上でも、それ以下でもないのです。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)









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