通常級で刺激を受けて伸びるという幻想、障害児にとって「支援学校=自立できない」は誤解? “受け身”になるリスク
障害を持った子どもにとって、自立につながりやすい環境について、筆者が紹介します。

私には、25歳になる知的障害を伴う自閉症の息子がいます。2歳3カ月のときに、正式に診断を受けました。
来春、小学校への入学を控えた障害のあるお子さんを持つ保護者の中には、わが子を通常級に通わせ、多くの刺激を受けて伸ばしたいと考える人がいます。確かに良い刺激もありますが、「自分だけできない」と感じたり、いじめを受けたりするなど、負の刺激につながることもあると思います。
また、周囲の子や介助員が「助けてあげなければ」と先回りして支援してしまい、結果的に本人が自分でやる機会を失ってしまうことがあります。そのため、受け身の姿勢が習慣になってしまうケースも見られます。
その点、特別支援学校では「自分でできることは自分でやらせる」という方針を大切にしている学校が多いと感じます。支援は手厚いですが、必要最小限にとどめ、自立に向けた支援計画が立てられている場合が多いという印象です。私は、状況によっては支援級よりも支援学校の方が、結果的に自立につながりやすい側面があると感じています。
例えば、重い障害のあるお子さんが通常級や支援級に在籍すると、周囲が「助けてあげたい」という気持ちから手を貸す場面が増えることがあります。人には“貢献欲”がありますし、「障害のある子に優しくすること」は先生や保護者から評価されることもあるため、周囲の支援が厚くなる傾向があります。
それ自体はほほ笑ましいことですが、結果として、本人があまり行動しなくても日常生活が回ってしまう状態になる場合もあります。これが「受け身の習慣」につながることもあります。
特別支援学校で行われていた「手を出し過ぎない指導」
私は特別支援学校の教員免許を取得する過程で実習を経験しました。そこで印象的だったのが、「手を出し過ぎない指導」です。
例えば、衣服の着脱については、指導教官から「上のボタンは視認しにくく難易度が高い。まずは下のボタンを自分で留める練習から始め、残りは支援者が手伝う」と教わりました。徐々に支援の範囲を減らし、最終的にはすべて自分でできるように促すという考え方です。
排せつに関しても、「将来的に自分でできるようになることを目指した支援を行う」と指導されました。
例えば、女の子の月経時のナプキン交換についても、「まずはナプキンを自分で取りに行く」「正しい位置に装着する」といった動作を段階的に支援し、最終的に人の手を借りずにできるようにしていくという支援のあり方が重視されていると感じました。
一方で、支援級に障害の程度が重いお子さんが在籍した場合はどうでしょうか。
国語や算数などの教科学習に重きを置く時間が多くなる傾向があります。クラスには担任1人に対して児童が最大8人在籍しますが、食事、着替え、排せつなど、身辺自立が十分でない子がいる場合は介助員がサポートに入ります。
さらに、軽度の子や通常級の子が休み時間などに手伝ってくれることもあるようです。確かに、周囲が手助けしてくれる姿は心温まるものです。しかし、子ども本人が「誰かがやってくれるから」と受け身の姿勢になってしまう場合もあります。
例えば、体育の授業がある日、時間に遅れないように介助員が子どもの着替えをすべて済ませてしまうこともあると聞きます。3つボタンがあれば、そのすべてを留めてもらうことになります。結果として、子どもが練習する機会を持ちにくくなる場合もあります。
私は、これは“過保護”に近い状態になることもあるのではないかと感じました。本来なら自分でできるようになる可能性のあることも、状況によっては大人が手を出さざるを得ない構造になっていることがあるのです。
学校選びは保護者の意向によって決まります。その年度によって、障害の程度が重い子が多く在籍する支援級では、教科学習よりも、担任が身辺自立の支援に追われることもあるかもしれません。
支援学校は身辺自立が完全ではない子に対して、支援級は、一定程度の身辺自立が可能な子どもを対象に、教科学習を中心とした支援を行う場とされています。
子どもの状態に合わせた学校選びが何よりも大切だと、強く感じています。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)






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