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健常児と交流させたい…“自閉症児”と母、小学校へ 「なんで話せないの?」の問いに感じた、子どもたちの“成長”

知的障害がある自閉症の息子を育てる女性ライターが、「副籍制度」という制度を利用し、息子を地域の小学校の子どもたちと交流させたときの体験を紹介します。

「どうして話せない?」 自閉症の息子の障害に疑問を持った子どもたち(べっこうあめアマミさん作)
「どうして話せない?」 自閉症の息子の障害に疑問を持った子どもたち(べっこうあめアマミさん作)

 ライター、イラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の5歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 皆さんは、「副籍制度」(副籍交流)を知っていますか。これは、特別支援学校に通う子どもが、地域の小学校の子どもたちと交流する制度で、地域社会で自分たちの存在を知ってもらうのによい機会になります。今回は、アマミさんが副籍制度について、自身の息子の体験を基にお伝えします。

息子は2つの学校に籍がある

 私の息子には、重度知的障害を伴う自閉症があり、特別支援学校に通っています。そんな息子の普段の居場所は知的障害の特別支援学校ですが、実は、彼にはもう一つの籍があるのです。

 東京都では、特別支援学校に通う子どもが地域の小学校の普通級にも籍を持つ、「副籍制度」という制度があります。この制度を利用し、息子は家から歩いて5分程度のところにある、地域の小学校にも籍を持っているのです。

 副籍制度には、直接、学校には行かずにおたよりの交換や制作物の共有などのみをする間接交流と、実際に子どもが地域の学校に行って交流する直接交流があります。

 息子は2年生と3年生のときに、直接交流として何度か小学校に足を運びました。私たちが副籍制度を利用したのは、息子には特別支援学校に行っても、障害がない健常の子どもたちとの交流を通じ、地域とのつながりをできる限り持ち続けてほしいという思いがあったからです。入学時から制度を利用するつもりでしたが、息子が1年生のときはコロナ禍で直接交流ができませんでした。

 特別支援学校の入学前、息子は障害のある子や発達の遅れが気になる子を支援する「加配」の先生が付く形で普通の幼稚園に通っており、健常の子どもたちと時間を共にすることは、初めてのことではありませんでした。

 そのため、私は副籍制度に緊張しながらも、ある程度は子どもたちの様子も予想できているつもりでした。

 しかし、小学生になった子どもたちの息子に対する反応は、幼稚園時代と比べると、少し違うものがあったのです。

話すことができない息子に対する子どもたちの反応は?

 息子の直接交流は、帰りの会での短時間の交流から始まりました。事前の打ち合わせで、息子は幼稚園時代から、積極的に他の子どもたちと一緒に何かをやるよりは、「みんなが何かやっているのを近くで見ている」というスタイルの方が楽しめることを共有していました。

 そして、息子の障害を考えると、いきなり長時間過ごすよりも、まずは短時間の交流を何回か重ねて慣れさせた方が良いということを事前に学校側と話し合っていたため、授業ではなく、帰りの会で20分ほどの交流をすることになったのです。

 初めての交流の日、息子よりも私の方が緊張しながら教室に入ると、まずは息子の代わりに私が息子のことを紹介しました。

 私が息子と一緒に教室の一番前に立つと、子どもたちが一斉にこっちを見ていて、私の緊張はマックスに。

 それでも、事前に考えておいた通り、クラスの子どもたちを見渡しながら、ゆっくりと簡潔に話すのを心掛け、次のようなことを紹介しました。

・息子はみんなと同じ小学2年生で、この学校の近くに住んでいること

・息子は、小学校から少し離れたところにある、特別支援学校の2年生であること

・息子は障害があって、言葉を理解することが難しく、お話しできないこと

・初めての場所や、この先どうなるか分からなくなると、パニックになったり、緊張し過ぎて固まってしまったりすることがあること

・食べることが大好きで、よく歩きながら楽しくこの辺で遊んでいること

・これから何回か会いに来るので、仲良くしてくれたらうれしいこと

 私の話が終わると子どもたちは、「はーい」と元気よく返事をして、息子のことを興味津々で見ていました。

 その後、先生の促しで、私と息子は教室の後ろに用意された席に移動しました。その際、「よろしくー」などと子どもたちが声を掛けてくれました。

 着席すると、ドッと息子と私の周囲に子どもたちが集まってきました。さながら転校初日の転入生といった感じです。

 子どもたちは、何度も息子のことを「かわいい!」と言ってくれました。そして、息子の写真付き自己紹介シートを見て、「2年〇組なの!? 何組まであるの?」「兄弟はいる?」「好きなこと、私とだいたい一緒だ!」「初めて学校に来るの、ドキドキするよね!」「僕も初めて学校に行くときは…大変だった」などと口々に話し掛けてくれたのです。

 息子は子どもたちの圧に押されて横を向きつつも、ニコニコしていて、照れながらもうれしそうでした。

 しかし、子どもたちから質問されたことの中で、「なんで話せないの?」「いつから話せないの?」「耳が聞こえないわけじゃないのに? なんで?」という言葉には、反応に困りました。

 素直な疑問だと思いますが、私は小学2年生にしっくりくる答えが見つからず、うまく答えられなかった気がします。

「障害があって、言葉を理解するのが難しい」と答えたり、「(いつからかは)生まれたときから」と言ったりしましたが、これで良かったのか分かりません。

 それでも、クラスの子どもたちは終始歓迎ムードで、お別れのときも、バイバイの代わりのタッチをしながら、「もっと一緒にいたいな」などと声を掛けてくれました。

 笑顔だった息子も帰り際にぐずつきだし、涙を見せており、楽しかった分、離れるのがさびしく感じているように思いました。

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べっこうあめアマミ(べっこうあめあまみ)

ライター、イラストレーター

知的障害を伴う自閉症の息子と「きょうだい児」の娘を育てながら、ライター、電子書籍作家として活動。「ママがしんどくて無理をして、子どもが幸せになれるわけがない」という信念のもと、「障害のある子ども」ではなく「障害児のママ」に軸足をおいた発信をツイッター(https://twitter.com/ariorihaberi_im)などの各種SNSで続けている。障害児育児をテーマにした複数の電子書籍を出版し、Amazonランキング1位を獲得するなど多くの障害児家族に読まれている(https://www.amazon.co.jp/dp/B09BRGSY7M/)。「べっこうあめアマミ」というペンネームは、障害という重くなりがちなテーマについて、多くの人に気軽に触れてもらいたいと願い、夫と相談して、あえて軽めの言葉を選んで付けた。

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