信念なき地方自治、首長は「ホラ吹いてもウソつくな」【前編】
神奈川県開成町長を務めた、筆者の父・露木甚造氏は通称「ほら甚」。町民をけむに巻くことしばしばでしたが、「ホラ」を「ウソ」にしないための、確かな戦略がありました。現在の首長にはない要素だと筆者は高く評価します。

「なにくそ、負けてたまるか」が信条
人口が61年間、増え続けている、神奈川県最小の町・開成町の発展の土台を作ったのは、1963年から83年まで町長を務めた、私の父・露木甚造でした。父のモットーは「ホラは吹くがウソはつかない」で、周りの人たちからは「ほら甚」と呼ばれていました。
開成町の農家の親父さんたちには、理解が及ばないような大風呂敷を広げ、いわばけむに巻いていたのでしょう。4回目の町長選が終了した後、父は地元紙のインタビューで、それまでに歩んできた町政と展望について語っています。ほら甚の異名通り、ホラを吹いて町政を担ってきたことがよくわかるインタビューです。
開成町は1960年代前半まで、水田しかないといっても過言ではない、純然たる農村でした。新宿と小田原を結ぶ小田急線の線路は通っていましたが、駅はありません。そのような状況下でも、父は「開成町に新駅を誘致して、足柄平野で小田原に次ぐ都市にする」と大見得を切っていました。
1955年に2つの村が合併して開成町ができた時、人口はわずか4600人。「豆粒」のような町のトップの口から発せられる言葉は、夢物語と受け取られていたに違いありません。軍人育ちの父は「なにくそ、負けてたまるか」が信条でしたので、内心は切歯扼腕(せっしやくわん)だったはずです。
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