ドル高是正へ? 「新プラザ合意」の可能性はあるのか
「トランプ政権はドル高是正を模索しているのでは」との見方がありますが、先進各国が協調した1985年の「プラザ合意」は再現するのでしょうか。その可能性を探ります。

トランプ米政権がドル高の是正を模索している、との見方が根強くあります。では、1985年の「プラザ合意」の再現はあるのでしょうか。
米国を含む主要先進国が合意の上で「ドル高是正」を表明し、市場介入を含めて政策協調を行うという意味での「プラザ合意」が再現されるかといえば、それは難しいでしょう。仮に「新プラザ合意」があるとしても、それはかなり違った形になるのではないでしょうか。
それを考察する前に、まずオリジナルのプラザ合意を振り返ってみたいと思います。
「ドル高是正」のための協調介入
プラザ合意とは、日米独英仏、いわゆるG5の財務大臣が1985年9月22日、ニューヨークのプラザ・ホテルでドル高是正のための政策協調で合意したことを指します。共同声明では、「主要な非ドル通貨が対ドルで、秩序を持って一段と上昇することが望ましい。そのために、より緊密に協調する準備がある」と宣言されました。これはドル高是正のために協調介入を行う準備があることを公言したに等しいものです。
プラザ合意の直接のきっかけは、ドル高の弊害が顕著になったことでした。
発端は、1981年の共和党レーガン政権の誕生まで遡ります。レーガン大統領は、米ソ冷戦の最中、「強いアメリカ」を標榜して軍備増強を進める一方で、大規模な減税を断行しました。いわゆる「レーガノミクス」です。
一方で、非国防支出の削減に失敗したことや、期待したほど税収が上がらなかったことで、財政赤字は大幅に拡大しました。また、国内の旺盛な需要に供給が追い付かなかったことや、インフレ抑制のための高金利が海外資金を引き付けてドル高になったことで、貿易赤字、ひいては経常赤字が大幅に拡大しました。財政収支の赤字と経常収支の赤字は「双子の赤字」と呼ばれました。
ドル実効レートは、レーガン大統領就任時の1981年1月から1985年3月のピークまで40%以上も上昇しました。その結果、米企業の対外競争力は大いに阻害され、産業空洞化の懸念から貿易保護主義が台頭しました。上述したプラザ合意の共同声明でも、「米国の経常赤字を背景とした保護主義圧力は、相互に破壊的な(mutually destructive)報復合戦につながる恐れがある」と指摘されていました。
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