リアルではなくネットの世界で行われる現代版「生徒指導」、その実情とは?
生徒指導の先生といえば、「登校時、門の前に立っている」というイメージを持つ人が多いと思いますが、現代では、ネット上にも目を配っているようです。

学校の生徒指導の先生といえば、「登校時、門の前に立っている」「服装の乱れをチェックする」など、子どもたちのリアルな行動に目を配るイメージを持つ人が多いと思いますが、スマートフォンやSNSが全盛の現代では、「生徒がネット上で問題行動を起こしていないか」を注視するケースもあるようです。ネット上では、「時代の変化を感じる」「携帯電話すらなかった頃とは大違い」「今も昔も生徒指導は大変」など、さまざまな声が上がっています。
子どもたちを取り巻く問題と、先生たちを悩ませる現代の「生徒指導」とはどのようなものでしょうか。元千葉県警上席少年補導専門員として、青少年の非行問題や児童虐待問題などに数多く携わってきた少年問題アナリストの上條理恵さんが解説します。
見えにくくなった「サイン」
そもそも「生徒指導」とは、文部科学省が定める「学習指導要領」に基づくもので、簡略化すると、子ども一人一人の自己実現に向け、「自己存在感」「共感力」「自己決定力」を育て、「やってよいこと」「やってはいけないこと」を判断できる自律性を育成し、人生を歩んでいくための基盤となる「生きる力」を身に付けさせるための教育活動を指します。
学校全体として、生徒全体を対象に取り組むべきものであって、生徒一人一人を個別に指導するのは本来の姿ではありませんが、現実には「生徒指導=個別指導」になってしまっています。
生徒指導という言葉は、昭和40年代以降に広まったとされますが、本質の部分は昔も今も変わっていません。しかし、一方で、子どもを取り巻く事象は時代とともに変化し続けています。
現代の子どもたちは昔と比べて、「窓ガラスを割る」「不良グループとつるむ」「たばこを堂々と吸う」といった分かりやすい「非行・不良行為」があまり見られなくなったと耳にすることがあります。一昔前、思春期の子どもにとってステータスだった「不良」「たばこ」は、現代の子どもたちには「ダサいもの」となっているようです。一方で、昔は子どもが抱える精神的な不安定さが、不良行為や喫煙行為で顕在化していたといえます。
現代の子どもは、こうした不良行為は減りましたが、決して問題がなくなったわけではありません。子どもの内面的な問題は「潜在化」しており、むしろサインは見過ごされやすくなっています。例えば、普段おとなしくて控えめな生徒が何らかの問題を抱えていたとしても、そのサインは看過されてしまいがちです。そうした生徒がある日突然自殺し、「なぜ」「原因が分からない」と周囲が驚くケースもしばしばです。
潜在化によって、問題が可視化されづらいからこそ、保護者や先生といった周囲の大人がかなり敏感にアンテナを張らなければならないのが現状です。
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