葬儀は誰のためのもの? 「生きている人のため」という人に伝えたいこと
「多様な価値観の尊重」強制すべきでない
冒頭で述べた、「葬儀が誰のためなのかは、立場によっても見方が違ってくる」というのは、いわゆる「価値観の多様性」です。「死後の世界は存在するの?」とか「魂は実存するの?」という話をどう解釈するかは人によって違いますが、葬儀はやはり、故人を安寧に、尊厳を持って葬る、「故人のためのもの」です。死者がいない葬儀は、原則としてあり得ないからです。
例えば、赤ちゃんの誕生祝いをするのは父や母、その親族も喜ぶでしょうが、あくまでも赤ちゃん本人の誕生を祝うことが主目的です。祝うことで家族や親族が喜ぶことがあっても、あくまで「主役」のためにやっているという点においては、葬儀も同じです。葬儀の主役は旅立つ人です。「価値観の違いだから認め合わなくてならない」というのは、強制されるものではありません。道理の通りに解釈すれば、葬儀は「旅立つ人のためのもの」であり、副次的に遺族や、参列した人のためにもなっているといえるでしょう。
葬儀はその人の死、つまり「生きた」がそこにある場所、そしてそこにある時間です。誰がどう思うかも大切ですが、その「生きた」に似合うように送り出すことが大切なのではないでしょうか。旅立つ主役に寄り添って送ることができれば、それは規模が小さくても大きくても、質素でも立派でも、その「旅立つ人のために」を皆でできることがありがたく、一人ではないことが心強いと思うのです。「参列者を多く呼ばなくてはならない」ではなく、「誰かがいてくれて心強い」という考え方です。
「生きている側/亡くなった側」という対比構造ではなく、この「死」という大変な旅立ちのとき、「1人じゃないから心強い」とつながりを持てる生き方。それが、良い/悪いで切り分ける世界よりも大切なのではないかと、筆者は思うのです。
(佐藤葬祭社長 佐藤信顕)

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