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出て行った父、暴力振るった母…憎い「毒親」でも葬儀はすべきか

誰もが、いつかは関わるものでありながら、詳しく知る機会が少ない「葬祭」について、専門家が解説します。

憎い親でも葬儀はすべき?
憎い親でも葬儀はすべき?

「私が幼い頃、母と私を置いて家を出ていった父が、施設で、余命いくばくもない状態だという知らせが飛び込んできました。私は成人し、結婚もして、生活も安定しています。いまさら、昔のことに気持ちを乱されたくはありませんが、その父が私に会いたいと願っているそうです。思い出の中の父は、ろくに家にも帰ってこない人で、母がよく愚痴をこぼしていたのを覚えています。そんな、家族に愛情を示さなかった父の葬儀や埋葬を私がしなければならないでしょうか」

「私は小さい頃から、母にいじめられてきました。言葉の暴力も肉体的な暴力も受け、母のことを憎んでいます。いわゆる“毒親”です。そんな母がもし死んだら、一人娘の私は母の葬儀を行わないといけないのでしょうか」

 葬祭業を営む筆者のもとに、このような質問が寄せられることがあります。同居していれば、まだ家族の問題として捉えられるのでしょうが、多くの場合は生活上、経済上の問題などで距離を置いて暮らしているケースです。「さまざまな事情で憎しみを抱いている肉親の葬儀を、息子や娘は行わないといけないのか」。この問いに、皆さんならどう答えるでしょうか。

せめて参列は…

 正直な話、何らかの事情で出ていった親や、憎しみや嫌悪感を持っている親について、その葬儀に行かないことも、葬儀を執り行う責任を負わないこともできるでしょう。誰も「おまえの親だ。責任を取れ。葬儀をしろ」とは強制できないからです。親子関係が破綻してしまったら、距離を取ることになったり、絶縁したりすることもあります。全ての家族が仲むつまじく暮らしていけるわけではないので、離れて暮らす方が双方にとって平穏なケースもあるでしょう。

 ただ、離れて暮らす親の経済状況が把握できないときに起こり得るのが、相続の問題です。親子関係にわだかまりがあり、「あの親とは縁を切るんだ」ということになっても、財産より借金の方が多い場合は、そのままにしておくと借金まで相続することになります。

 相続放棄の手続きは原則として、「亡くなってから3カ月」です。「あの人のことなんか知らない」と言いながら、金融機関から借金の返済を求められてはかないません。相続放棄をするかどうかの判断のためにも「完全な放置は難しい」ことを知っておいてください。自分の身を守るためにも、憎い人の死でも、葬儀をするか、せめて参列しておいた方が有利なことが多いです。

 関係が破綻している親が生活保護などを受けていた場合、「親の火葬に立ち会ったら、生活保護の葬祭扶助(自治体が葬儀費用として20万円程度まで支給する仕組み)が受け取れない」とか、「遺骨を受け取ると葬儀代を負担しなければならない」といわれることがありますが、火葬の立ち会いや遺骨の引き取りと、葬儀費用を負担するかどうかは別の話です。

 憎しみの感情だけでなく、お金の負担が頭をよぎり、最後の別れに立ち会えないケースもあります。別れの場にいることで経済的負担の義務を負うとは限らないことに、ここで言及しておきます。

憎んだ相手も弔える

 ここまで、現実的な問題を整理してきました。その上で、憎しみのある肉親の弔いを行うべきか、そうではないかを考えてみたいと思います。「親はひどい人で、私にひどい仕打ちをした。だから憎んでいるし、葬儀もしてやる気はない」。このような相談を受けるたび、「それはそうだろうな」と思います。実際、非常に分かりやすい論理です。

 弔いが「愛情表現だけ」のものであるならば、葬儀を行わない、あるいは行かない選択になると思います。しかし、葬儀や法事は愛しているから行うのではなく、憎む者に対しても、恐れるものに対しても行う「鎮魂」という側面があるものです。

 もし、あなたの親が“毒親”で「明日行われる親の火葬に立ち会いに行くかどうか迷っている」と筆者に相談してきたなら、「行った方がいい」と筆者は答えるでしょう。嫌な人に嫌なことをされて、嫌いになる。それは、毒親だったあなたの親の行動通りの世界になってしまうからです。

 人は亡くなると、もう悪いことはできません。悪口をたたくことも、嫌な表情であなたを威嚇することもできません。ただ、箱の中に眠っているだけです。映画のように「愛していたよ、ありがとう」で送るだけが葬儀ではありません。「やっとくたばりやがったな。散々迷惑をかけやがって、ざまあみろ。もう悪さはできないな」と、ひつぎの中の故人に向かって言葉を絞り出す人もいるのです。たとえ口に出さなくても、そういう親子関係だってあるのです。

 生は善悪さまざまな行いを生みます。善い行いが多かった人はその死を惜しまれ、多くの愛情の中で送られます。では、悪い行いが多かった人はどのように送られるか。生に伴った悪事ができなくなるのですから、「救い」や「安らぎ」の死として送られるのです。

 今どきの人は「死者に対して、あまりひどいことを言うべきではない」という非常に行儀のよい考え方をしていますが、筆者の子どもの頃、昭和50年代は「もう悪さできないから、死んじまってよかったんだよなあ」「死んだら仏だからよ、もう悪さできねえんだ」というのはよく耳にするフレーズでした。

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佐藤信顕(さとう・のぶあき)

葬祭ディレクター1級・葬祭ディレクター試験官・佐藤葬祭代表取締役・日本一の葬祭系YouTuber

1976年、東京都世田谷区で70年余り続く葬儀店に生まれる。大学在学中、父親が腎不全で倒れ療養となり、家業を継ぐために中退。20歳で3代目となり、以後、葬儀現場で苦労をしながら仕事を教わり、現在、「天職に恵まれ、仕事も趣味も葬式」に至る。年間200~250件の葬儀を執り行い、テレビや週刊誌の取材多数。YouTubeチャンネル「葬儀葬式ch」(https://www.youtube.com/channel/UCuLJbkrnVw6_a35M0rk8Emw)。

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