御霊前か御仏前か、迷う必要なし 香典の「表書き」に“正しい”マナーはない
誰もが、いつかは関わるものでありながら、詳しく知る機会が少ない「葬祭」について、専門家が解説します。

「いつからが『御仏前(ごぶつぜん)』になるんだっけ?」
香典を準備するとき、「表書き」について悩むことがあると思います。仏教では一般的に、故人は四十九日の法要を経て“仏”となるので、法要以降は「御仏前」、四十九日より前の場合は「御霊前(ごれいぜん)」になるといわれています。迷ったら、「御香典」と書いてある不祝儀袋を買えば問題ありません。
「ハスの花の柄」神道では失礼?
よく、「ハスの花の柄が入った不祝儀袋は仏教用で、キリスト教や神道では失礼にあたるのでNG」というマナー講師がいますが、あれは完全に“言い過ぎ”です。確かに、一部には慣習に厳しい人がいるにはいます。しかし、実際のキリスト教の信者さんたちは葬儀の際に弔意として頂くお金について、たとえ表書きが「お花料(お花代)」でも「御霊前」でも気にしない人が大半ですし、神道の場合も、表書きを「御香典」で持って来られてもほとんどの人が気にしていません。
もし、間違ってしまったら、「すみません。神道(あるいはキリスト教)だと知らなかったものですから」と頭を下げれば、それ以上責められることはありません。日本での葬儀の頻度が少ない宗教のことは多くの人が分からないので、「当人たちが失礼に扱われて怒るから、正しいマナーを身に付けなくてはいけません」とマナー講師は言いますが、そんなことはないのです。
葬祭業に携わる筆者の経験上、キリスト教や神道で葬儀を行う遺族側は、自分たちの信仰する宗教での葬儀の頻度が少ないことは分かっていますから、弔問客が自分たちの信仰での葬儀のやり方に不慣れでも、「よくあることですから」とわりと寛容に受け入れてくれるものです。
もし、遺族側が「不祝儀袋にハスの柄が入っていたから失礼」「『御香典』という表書きだったから、私たちの信仰をないがしろにしている」と言うのであれば、今度は、せっかくの弔意を受け取る側がむげにし、「不手際があったから、弔意を受け取らない」という別の“失礼”が生み出されることになります。大切なのは、亡くなった人に敬意を持って弔問すること、そして、不祝儀袋にお金を入れ忘れないことです。
「宗派で表書き異なる」の真偽
マナー本で表書きの所を見ると「浄土真宗では、亡くなるとすぐに極楽浄土に往生するので『御霊前』は使わない」などと書かれていることがあります。しかし、「では、浄土真宗の場合は『御仏前』にすればいいんですね。ありがとう、マナー講師」とはなりません。
先述しましたが、表書きが気になる場合は「御香典」を使ってください。「御香典」はどちらでも使える“万能”の表書きです。葬儀業界では「御霊前/御仏前論争」は「御香典で統一」ということで決着が付いています。困るのはマナー講師だけです。
実際のところ、仏式の葬儀の訃報で「○○宗で行います」と記述されているのを少なくとも筆者は見たことがないため、そもそも、弔問する側が事前に遺族側の宗派を把握できないケースの方が多いのです。例外として、「この地域は浄土真宗ばかり」「100%ではないけれど、95%以上が浄土真宗の家だから」という理由で「御仏前が一般的」というケースはあるようです。
一方、キリスト教は日本での信者数が比較的少なく、神道式での葬儀は少ないので、訃報に「葬儀はキリスト教式で行います」「神道で行います」と書き添えてあることが多いです。
弔意を込めたお金は家で準備して、「御霊前」や「御仏前」として持参するものです。だからこそ、「知らされていない情報を判断するのは難しい」ということで、厳密な区別ができなくても失礼には当たりません。宗派ごとの作法があるにしろ、一般会葬者にそこまでの強制はできないですし、受け手側が柔軟に対応した方がやりやすいからです。
大事なことですので、ここで一度おさらいをしておきましょう。「悩んだら『御香典』」「もし間違っても、そんなに責められることはまずない」。一貫して、お伝えしたいのはこの2点です。ではなぜ、こんなに「表書きの使い分けの話」が氾濫しているのか。それは「マナー講師の飯の種」だからです。
火葬前が【御霊前】火葬後が【ご仏前】という人もいるが、「臨終→仮通夜→火葬→通夜→告別式」で
行う事が普通の函館の場合はどういうのだろう。