きっかけは不況!? 江戸時代の「流行色」はどんな色だったのか
日本には多くの伝統色が存在しますが、とりわけ江戸時代はたくさんの色が生まれた時代として知られます。その流行色とは一体、どのような色だったのでしょうか。

日本特有の「伝統色」は、現代に再現できるだけでも300色以上あると言われています。その多くは、人々の古くからの営みによって生まれたものですが、とりわけ、江戸時代は多くの色が誕生し、豊かな色彩にあふれていたようです。江戸っ子の間で流行したのは、どのような色だったのでしょうか。カラー&イメージコンサルタントの花岡ふみよさんに聞きました。
不況から生まれた江戸の「粋な色」
江戸の町人文化が花開いた元禄時代。町人たちは模様の少ないシンプルな帯を使い、単純な結び方しかできなかった代わりに、着物は華やかな柄物をまとっていました。しかし、不況期に入った江戸中期以降、幕府は華美な衣服を規制して倹約を推奨する奢侈(しゃし)禁止令を発布。紅や紫、金糸、銀糸をはじめ、派手な柄の着物を禁じました。そして、これが流行色誕生のきっかけでした。
「奢侈禁止令発布後、庶民は茶色やねずみ色、藍色、鳶色(とびいろ)などの地味な色や、しま模様や格子模様などの控えめな柄の着物を着るようになります。やがて、染め職人が色調を工夫して試行錯誤し、茶系統や灰系統の多彩な色が誕生。一つずつ色名が付けられたそれらの色は『四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)』と総称されました。当時の庶民たちの『他人と違うものを着たい』という欲求から生まれた、江戸ならではの『粋な色』の文化と言えるでしょう」(花岡さん)
四十八茶の代表的な色名は「団十郎茶」「路考茶(ろこうちゃ)」「芝翫茶(しかんちゃ)」「梅幸茶(ばいこうちゃ)」など、当時の娯楽であった歌舞伎の人気役者の名前や俳名を冠した色です。
「たとえば、団十郎茶は初代・市川団十郎が使ったとされる、ベンガラ(赤色顔料)と柿渋(熟す前の渋柿から取った液)で染めた茶色のこと。また、江戸紫は歌舞伎の演目『助六』の主役である助六が身につけていた鉢巻きに由来します。役者が好んだ色が庶民の間で流行し、着物にも生かされたのです」
ちなみに、四十八茶百鼠というネーミングは色の数を指すのではなく、語呂の良さから付けられたもの。100以上の色名があるとされ、江戸の人々が微妙な色彩の違いを見極め、着物に取り入れて楽しんでいたことがうかがい知れます。
「多くの色彩を分析して見分けることができる日本人の能力は、世界トップクラスとされています。江戸の人々も、創意工夫によって数多くの色を生み出し、それを見分ける色彩感覚が非常に豊かだったのでしょう」
(オトナンサー編集部)
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