「助けてもらえる」か「痴漢に狙われる」のか 「ヘルプマーク」助け合いのしるしの是非
配慮や援助が必要なことを知らせるための「ヘルプマーク」。しかし、本当はマークが必要なのに「つけない」ことを選択する人も少なからずいます。自閉症の息子をもつ筆者の見解です。

外見からは分からない障害や疾患のある人が、配慮や援助を必要としていることを周囲に知らせることを目的とした「ヘルプマーク」。この取り組みは「人間は善い行いをする」という性善説のもとで成り立っているものなのだと思いますが、「人間の本性は悪である」という性悪説に立ってみると危険なものにもなり得る……ということもあります。
性善説か、性悪説か――。この捉え方によって、ヘルプマークをつけるのか、つけないのかの判断は変わってきます。
「抵抗できないだろう」と狙われる
私の息子は知的障害を伴う自閉症で、現在24歳です。
電車の中でニヤニヤしたり、独り言を言ったり、パニックを起こしたりすることがあるので、「これをぶら下げていれば少しは理解されるだろう」とヘルプマークをつけています。体は丈夫なので優先席に座る必要はないのですが、たまに席を譲ってくださる方がいます。
ヘルプマークには、何の障害なのかまでは記載されていないので、いろいろと戸惑うこともあります。
ある自閉症の女の子がいました。電車の中で奇声を発したり、パニックを起こしたりすることがあるのですが、親御さんはヘルプマークをつけさせていませんでした。「痴漢に狙われる」という理由からです。
電車内に車いすの乗客がいると、そのことを駅員同士で連絡する放送が流れますが、これを悪用した痴漢やつきまとい事件も実際に起きています。「家までついて来られた」という人もいると聞きます。
これと同様に、配慮や援助が必要なことを知らせるために生まれたヘルプマークをつけたことによって、かえって被害に遭うこともあるということです。
妊産婦であることを示す「マタニティーマーク」も同様です。マタニティーマークをつけていたら「席を譲ってほしいアピール」「気を使ってほしいアピール」だと思われ、嫌がらせを受けたり、おなかを蹴られたりした――。そんな事件も実際に起きているようです。
子どもが騒いだら舌打ちをされたり、ベビーカーを蹴られたりする世の中です。マークをつけていても、寛容ではない世の中ですね。
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