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阿佐ヶ谷で半世紀続いた喫茶店が閉店 夫婦の新たな夢「美しい日本を見て回りたい」が感動呼ぶ

東京・阿佐ケ谷で、51年にわたって喫茶店を営んできた夫妻が店を閉じました。その閉店のあいさつに、ねぎらいの声が上がっています。

「閉店のお知らせ」としてつづられたあいさつ
「閉店のお知らせ」としてつづられたあいさつ

 東京・阿佐ケ谷で、51年にわたって喫茶店を営んできた夫妻が6月23日、店を閉じました。閉店を知らせる張り紙に、店主が80歳で営業を終えることや「残された時間は2人で美しい日本を見て回りたいと思います」とつづったところ、SNS上には「どうぞお気を付けて、お幸せに」「たくさんお仕事なさったでしょうね。ゆっくり素敵な時間を過ごしてほしい」と、ねぎらいの言葉が並びました。閉店後の片付け中の店を訪ねました。

台風の日に看板が飛んだことも…

 杉並区役所近くのビルの1階にあった店の名は「カフェポトロ」。経営者は今野忠良さん(80)、恭子(きょうこ)さん(77)夫妻です。30席ほどの店内の壁には女優オードリー・ヘプバーンのポスター、BGMは1950~60年代の洋楽、人気メニューはコーヒーやハムトースト、フルーツサンドという「古き良き喫茶店」でした。

 JR阿佐ケ谷駅(当時は国鉄)近くに最初の店を開いたのは1967年。前回の東京五輪から3年後でした。忠良さんは、古里の宮城県から集団就職で上京し、銀行などの社員食堂の現場責任者として働いた後、独立を決意。「修学旅行中に知り合った」という京都府出身の恭子さんとともに、喫茶店を始めました。

「まだビルがほとんどなくて、店の前から富士山が見えていました。コーヒー1杯が120円くらいでしたね」(忠良さん)

 喫茶店として始めたものの、次第にお酒目当ての客が増え、夜の営業が中心のスナック的な店に。カートリッジタイプのカラオケで歌う客や、ジュークボックスで音楽を楽しむ客でにぎわいました。店主夫妻が30歳前後と若かったこともあり、客は若いサラリーマンや大学生が中心。日大相撲部にいた輪島大士さん(後の横綱)が訪れたこともあったそうです。

 経営は順調でしたが、子どもが大きくなってきたことと、「お客さんに付き合ってお酒を飲むのをいつまでも続けられない」と思い始めたことから、店の移転を考えました。

「昼間の営業で経営が成り立つ場所を探したんです」(忠良さん)

 1979年、杉並区役所近くに新しいビルが完成したのに合わせ、現在地へ。以来、朝7時半から夜9時まで、日曜以外は基本的に営業という日々が39年ほど続きます。大雪が降っても営業。台風が来ても営業し、看板が道路の中央分離帯まで飛ばされたことも。ここ4~5年は年末年始やゴールデンウイークは休んでいますが、かつては元日も営業したそうです。

「初詣帰りのお客さんがよく来てくれました。よそが閉まってますから。休む暇なんてないですよ。毎日いろんな人が来て楽しいですしね。『契約が取れなくて会社に戻りたくない』と落ち込んで入ってきた営業マンが、一服して立ち直って出て行ったり、毎年確定申告の時期に顔を出して『また今年も来ました』という人がいたり」(恭子さん)

「休むのがもったいないと思ってしまうんですよ。人の2倍やらなきゃダメだというのが私の信念。貧乏性なだけかもしれないけどね。冠婚葬祭で里帰りしても『お客さんが待っている』と思って、すぐ店に戻っちゃう」(忠良さん)

 思い出話を笑顔で語る2人。体調を崩したこともなかったとのことですが、つらいことはなかったのでしょうか。

「気難しいお客さんに怒られたことがあったけど、つらかったのはそれくらいかな。楽しいことが多くて、なかなか店をやめられなかった」(忠良さん)

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