「余命3カ月」で目の前真っ暗、それでも希望を失わなくていい理由
近著に「孤独を克服するがん治療~患者と家族のための心の処方箋~」がある消化器内科・腫瘍内科医師の押川勝太郎さんに、がん治療における患者と家族のあり方を聞きました。
「がんに立ち向かうには、どうすればいいでしょうか」。健康なときにはなかなか意識しないこの問題は、がん告知を受けたとき、また、がん治療がスタートしてからも、患者やその家族を大いに悩ませます。そして、悩み抜いた末に「孤独」に陥ってしまう人も少なくないのです。
今回は、消化器内科・腫瘍内科医師の押川勝太郎さんに、がん治療における患者と家族のあり方について伺います。押川さんは抗がん剤治療と緩和療法が専門で、2002年、宮崎大学付属病院第一内科で消化器がん抗がん剤治療部門を立ち上げ、2009年、宮崎県全体を対象とした患者会を設立。現在、NPO法人宮崎がん共同勉強会理事長の職責にあります。
近著に「孤独を克服するがん治療~患者と家族のための心の処方箋~」があります。
「余命宣告」というのは不確かなもの
「余命宣告」を受けてショックを受けない人はいませんが、私たちは余命宣告の正しい意味を理解していません。押川さんは、余命宣告というのは不確かなものだとしています。
「理由として挙げられるのは『余命』という概念そのものへの誤解です。恐らく、多くの方は『ある病気の、ある進行度での平均寿命』というイメージを持たれているのではないでしょうか。例えば、『卵巣がんのステージIVでこの状態なら、平均的な余命は3カ月』という感じです。しかし、本来の意味はまったく異なるのです」(押川さん)
「医学的にいうと、余命は『生存期間中央値』と混同してしまうケースが多いのです。注目していただきたいのは、『平均値』ではなく『中央値』という点です。ある病気の患者さんが100人いたとして、そのうち50番目に亡くなった患者さんの生存期間を、生存期間中央値といいます。つまり、51番目以降の人は半年後、1年後に亡くなる可能性もあるということです」
今後、新薬の登場などによって、生存期間が大幅に延びる可能性もあり得るわけです。それでも、この説明では「余命3カ月」ということになってしまいます。また、中央値を代表的な余命として説明してしまうことについて、押川さんは次のように解説します。
「生存曲線のカーブが『平均的な寿命』を示すことはないのです。つまり、“可能性”を示しているにすぎません。各がん種、各ステージでこの生存曲線の傾き、曲がり具合が違う患者『集団』としての性質は示しているものの、個人個人の実際の余命は大変ばらつくので『平均』で推し量る意味がないということになります」
「例え話でいうと、高校野球が地区予選から優勝まで徐々に高校数が絞られていくのと同じで、勝ち残っていく数が減っていくような曲線と同じです。高校野球部の勝ち抜き試合数の『平均値』がほとんど話題になっていないのと同じで、意味がないわけです」
押川さんは、「余命宣告の7割は外れる」という論文も発表されているので、余命宣告はあくまで参考程度にとどめるべきだとしています。
「生きる希望を失わないことが大切です。見方を変えれば、余命宣告にもいいところがあります。不確かではありますが“生の締め切り”を意識することで、一日一日を大切に生きられるようになるのです。恐らく、健康なうちから人生の締め切りを意識して生きる人はほとんどいないでしょう。漠然と『平均寿命までは生きられる』と考え、未来があるのを当たり前のように捉えていると思います」
余命宣告を受けた方にとっては、1日先の未来もありがたいものになる。貴重な日々を悔いなく過ごすべく、「今の自分にできること」を懸命にするようになると、押川さんは言います。
「家族と濃密な時間を過ごすなど、価値ある毎日を過ごすかもしれません。きっかけと考えれば、余命を意識することは決して悪いことではありません。がん患者の方々にとって大切なのは『物事の良い面を見いだすこと』です。ネガティブな面にとらわれて悩んでいるだけでは、貴重な日々を無為に過ごすことになってしまいます」
コメント