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トランプ大統領就任でどうなる!? 歴史で見る日米貿易摩擦【前編】

「ジャパン・バッシング」の時代へ

 ドル安・円高の進行や日本の各業界の努力にもかかわらず、日米貿易不均衡はほとんど修正されませんでした(当時、ドル安になっても米国の貿易赤字が減らず、為替レートの変動が貿易収支に影響するまでタイムラグがあるために発生する「Jカーブ効果」という言葉が流行した)。

 そうした事態にいら立ちを隠せなかった米国は、1988年(自民党竹下/共和党レーガン)に包括通商競争力法を制定。その中で1974年通商法の対外制裁に関する条項を強化したスーパー301条を導入し、一方的な制裁の発動を可能としました。日本でも衛星やスパコンなどいくつかが特定されましたが、日米間で合意が成立して制裁発動は回避されました。換言すれば、発動回避のために合意を強制するだけ効力があったと言えます。

 さらに、対外収支の不均衡は貯蓄と投資のバランスを含めた経済構造に原因があるとして、1989年(自民党海部/共和党ブッシュ父)に日米構造協議がスタートしました。そこでは、日米の貯蓄・投資パターン(日本の貯蓄過剰、米国の投資過剰)のほか、日本の流通や商慣行、米国の企業行動や労働訓練などが俎上に上りました。

 この頃が、日米貿易摩擦が最も激しかった時期でしょう。1979年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が日本の経済的成功を米国への教訓としたのに対して、この頃は日本を経済的な「敵」とみなして、「ジャパン・バッシング」(日本たたき)という言葉がはやり、「Containing Japan」(日本封じ込め)や「The Coming War With Japan」(第二次太平洋戦争は不可避だ)といった危ないタイトルの雑誌記事や書籍も目に付くようになりました。

(株式会社マネースクウェア・ジャパンチーフエコノミスト 西田明弘)

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西田明弘(にしだ・あきひろ)

株式会社マネースクウェア・ジャパン(M2J)市場調査部チーフエコノミスト

1984年日興リサーチセンター入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。現在、M2Jのウェブサイトで「市場調査部レポート」「市場調査部エクスプレス」「今月の特集」など多数のレポートを配信するほか、テレビ・雑誌などさまざまなメディアに出演し活躍中。株式会社マネースクウェア・ジャパン(M2J)(http://www.m2j.co.jp)。

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