【戦国の女性に学ぶ】立花道雪の娘~家督継ぎ、「女城主」に~
立花宗茂の妻に
こうして女城主が誕生しました。しかし、そのままでは子どもは生まれず、立花家は断絶してしまうことになります。そこで道雪は、しかるべき男子を婿養子に迎えようと考え、白羽の矢が立ったのが、高橋鎮種(紹運)の子宗茂でした。高橋鎮種も宗麟の重臣の一人です。
二人の結婚は1581年のことですので、●千代は13歳、宗茂は15歳です。立花城での生活が始まり、その後、1587年の豊臣秀吉による九州平定後、宗茂は大友の家臣としてではなく、秀吉から13万石を与えられ、豊臣大名となりました。筑後柳川城主となり、二人は柳川城(福岡県柳川市)に移っています。
この後、夫宗茂は豊臣大名の一員として文禄・慶長の役で大活躍をすることになるのですが、夫婦の間に亀裂が生じ、1595(文禄4)年、●千代は柳川城を出て、別居生活に入っています。
1600(慶長5)年の関ケ原の戦いのとき、宗茂は西軍石田三成方についたため、所領没収で浪人となりました。ところが、宗茂はその後、奇跡的に復活をしているのです。1620(元和6)年、旧領を安堵(あんど)され、自分の居城だった柳川城に戻っています。
しかし、●千代は夫の大名復帰を見ることなく、肥後に隠せいしたまま、1602(慶長7)年に亡くなりました。
(静岡大学名誉教授 小和田哲男)




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