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【戦国武将に学ぶ】鍋島直茂~極めて珍しい「平和的下克上」~

戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。

佐賀市内にある鍋島直茂誕生地
佐賀市内にある鍋島直茂誕生地

 戦国時代の九州は、「九州3強」といわれる龍造寺隆信、大友宗麟、島津義久の3人が、それぞれ所領拡大を狙い、文字通り、三つどもえの争いを繰り広げていました。その一人、龍造寺隆信の重臣で軍師だったのが、鍋島直茂です。

龍造寺家当主の補佐役に徹する

 鍋島氏というのは、藤原秀郷流少弐氏の子孫とも、近江源氏佐々木氏の流れをくむとも伝えられていますが、肥前国佐賀郡鍋島村(佐賀市)に土着し、鍋島氏を称しています。はじめ千葉氏、のち龍造寺氏に仕え、直茂の父清房の頃には、龍造寺氏の重臣に位置付けられていました。

 直茂の武名を上げた戦いが1570(元亀元)年の「今山の戦い」です。この今山の戦いというのは、龍造寺隆信と大友宗麟の戦いですが、大友宗麟が6万の大軍で、龍造寺隆信の本拠だった佐嘉城(佐賀市)に迫り、近くの今山に本陣を置きました。

 そのとき、放っていた忍びの者からの報告で、「大友軍の総攻撃は8月20日」と情報をつかんだ直茂は、その前夜、ひそかに軍勢を移動させ、20日未明、今山の大友軍本陣に奇襲をかけ、この奇襲で大友軍の大将だった大友親貞を討ち取っています。その後も大友軍は滞陣していましたが、やがて勝ち目はないとみて、結局、講和を結び、兵を引いています。

 この結果、大友軍の脅威が取り除かれることになり、龍造寺家の領土は拡張するのです。ところが、1584(天正12)年3月24日、現在の長崎県島原市で起きた沖田畷(なわて)の戦いで、当主龍造寺隆信が島津軍と戦って討ち死にするという事態が生じました。

 隆信の跡を子の政家が継いだのですが、政家は病弱で、父隆信ほどのリーダーシップもなかったのです。結局、重臣筆頭で、しかも軍師だった直茂が政家を補佐する形で、しばらく推移しました。

秀吉の下、実質的当主に

 平和な時代であれば、トップが暗愚であったり凡庸であったりしても、しっかりした補佐役がついていれば、それでやっていけたかもしれませんが、戦国時代はそうはいきません。

 3年後の1587(天正15)年、豊臣秀吉が九州攻めにやってきたとき、龍造寺軍も秀吉軍に加わったのですが、政家の凡庸さ、無能さを秀吉に気付かれてしまったのです。秀吉は織田信長と同様、徹底した能力主義を貫いていましたから、たとえ父親が優れた人物であっても、その子が無能であれば、容赦なく所領を取り上げています。このときも、その可能性はありました。

 ただ、このときは、どういうわけか秀吉も寛大で、政家を隠居させ、子の高房に跡を継がせています。もっとも、このとき高房はわずか5歳ですので、秀吉の頭の中では、すでに龍造寺家に代わり、鍋島直茂を直接掌握しようと考えていたのかもしれません。

 その後、1592(文禄元)年から始まる文禄の役、1597(慶長2)年から始まる慶長の役では、直茂が龍造寺軍を率いており、実質的に彼らは龍造寺高房の家臣ではなく、鍋島直茂の家臣となった形でした。ある意味、これは、戦国時代には珍しい「平和的な下克上」といっていいのかもしれません。

 1600(慶長5)年の関ケ原の戦いのときには、直茂の子勝茂が一時、西軍石田三成方につきましたが、父親直茂が西軍の立花宗茂を筑後柳川に攻めていたため、その功が認められ、佐賀35万7000石の本領は、そのまま安堵(あんど)されています。

 すると、それが誰のものなのかが曖昧になってきます。龍造寺家の当主は表向き高房ですので、直茂はあくまでその国事代行者、後見人といった立場だったからです。ところが1607年、勝茂の代のとき、龍造寺家が断絶し、佐賀藩主鍋島家が成立することになりました。以後、明治維新まで代々佐賀藩主を務めています。

(静岡大学名誉教授 小和田哲男)

【写真】鍋島直茂ゆかりの「佐賀」

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小和田哲男(おわだ・てつお)

静岡大学名誉教授

1944年、静岡市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授、文学博士、公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史。著書に「戦国の合戦」「戦国の城」「戦国の群像」(以上、学研新書)「東海の戦国史」「戦国史を歩んだ道」「今川義元」(以上、ミネルヴァ書房)など。NHK総合「歴史秘話ヒストリア」、NHK・Eテレ「知恵泉」などに出演。NHK大河ドラマ「秀吉」「功名が辻」「天地人」「江~姫たちの戦国~」「軍師官兵衛」「おんな城主 直虎」「麒麟がくる」「どうする家康」の時代考証を担当している。オフィシャルサイト(https://office-owada.com/)、YouTube「戦国・小和田チャンネル」(https://www.youtube.com/channel/UCtWUBIHLD0oJ7gzmPJgpWfg/)。

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