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職員は気の毒? 勤務先のミスで給与「過払い」、従業員に返還の義務はある?

勤務先のミスで給与の「過払い」があった場合、従業員は過払い分を返還しなければならないのでしょうか。弁護士に聞きました。

給与の過払い分、返す義務あり?
給与の過払い分、返す義務あり?

 山梨県韮崎市の公益社団法人で、勤続30年の職員に対して、少なくとも、およそ15年間で約400万円の給与の過払いがあったことが判明、ネット上で話題となっています。報道によると、職員は大学中退後、同法人に就職しましたが、給与を高卒として算定すべきところ、大卒として算定されていたそうです。法人側の調査に対して、職員は「勤務当初から高卒と言っている」と7月に回答しており、法人はその後、9月の給与から高卒の給与に改めました。

 今後、法人は職員に対し、過払い分の給与の返還を求める方向で調整するそうですが、ネット上では「気の毒」「法人側の落ち度なので返さなくてもよい」「給与が多い分、税金も多く払ってきたはず」といった声が多く寄せられています。勤務先のミスで給与の過払いがあった場合、従業員は過払い分を返還しなければならないのでしょうか。佐藤みのり法律事務所の佐藤みのり弁護士に聞きました。

返還請求の権利、勤務先に

Q.給与の過払いがあった場合、勤務先に落ち度があったとしても、従業員は過払い分を返還する義務があるのでしょうか。もし返還しなければいけない場合、過払いだという事実を知らずに給与を受け取っていたケースと、過払いだと知りながら受け取っていたケースとでは、返還する金額に違いはありますか。

佐藤さん「たとえ、勤務先に落ち度があったとしても、従業員は過払い分の給与を返還しなければなりません。過払い分の給与は本来であれば得られなかったはずの利益であり、そのせいで勤務先に損失が生じているからです。勤務先には『不当利得返還請求権』という権利が生じます。

返還する金額ですが、過払いを受けた事実を知らずに給与を受け取っていた場合、従業員は過払いを受けた金額分を返すことになります(民法703条)。受け取った時期から年月がたっていますが、もらい過ぎた分だけの返還で済みます。一方、過払いの事実を知りながら受け取っていた場合、従業員は過払いを受けた金額に利息を付けた金額を返還しなければなりません(同法704条)。

同法703条には、過払いだと知らなかった場合、『その利益の存する限度において』返還する義務を負うと定められており、『過払い分を使ってしまったのなら、利益がなくなったので返還しなくてよい』とも読めます。しかし、判例上、金銭の不当利得の場合、使ってしまったとしても利益が存在すると考えられており、原則として全額返還する必要があります。

民法では、このような定めになっていますが、勤務先と従業員が話し合い、合意することで返還義務を免除したり、減額したりすることは可能です。支払い過ぎた勤務先にも落ち度があるのであれば、よく話し合い、両者納得の上、解決することが大切だと思います」

Q.給与を多く受け取っていれば、その分、本来の給与の金額のときよりも多くの税金や社会保険料を支払ってきたと思います。過払い金を返還しなければならない場合、この点は考慮されるのでしょうか。

佐藤さん「過払い金の返還に際して、納め過ぎた税金や社会保険料の金額は考慮されません。納め過ぎた税金や社会保険料については別に調整され、還付してもらうことになります」

Q.過払い金の返還請求に時効はあるのでしょうか。

佐藤さん「時効はあります。給与の過払い金の返還を求める権利(不当利得返還請求権)は、使用者(勤務先)が権利を行使することができると知ったとき(過払いに気付いたとき)から5年間、または、権利を行使することができるとき(過払いが生じたとき)から10年間行使しないと、時効により消滅します(民法166条1項)。いずれか早い方で時効期間は満了します。

なお、消滅時効に関する民法の規定は改正されており、先述のルールは2020年4月1日以降に発生した不当利得返還請求権に適用されます。それ以前に給与の過払いが発生していた場合、消滅時効は原則10年です」

Q.返還請求が時効を迎えるのを狙うために、勤務先が過払い分の返還請求をしても、従業員が一向に応じないケースも考えられます。この場合、従業員はどうなるのでしょうか。返還しないことで財産を差し押さえられる可能性はあるのでしょうか。

佐藤さん「従業員が返還義務の存在を認めず、勤務先が過払い分の返還を求めても返還に応じない場合、使用者には消滅時効の完成を阻む方法があります。

まず、使用者が従業員に給与過払い分の返還を求めること(催告)により、そのときから6カ月間、時効は完成しません(民法150条1項)。その間に訴訟の準備をするなどし、使用者が従業員を提訴し、裁判上で請求すれば、裁判が確定するまで時効は完成せず、裁判で権利が確定すれば、今まで経過した時間はリセットされ、そこから新たに時効が始まることになります(同法147条)。

このように、従業員が権利の存在を認めず、一向に支払いに応じなかったとしても、使用者が法律に定められた方法で権利を行使することによって、消滅時効は完成せず、従業員は多くもらい過ぎた給与分を返還しなければなりません。裁判で支払い義務が認められたにもかかわらず、返還しなければ、従業員の財産が差し押さえられることもあり得ます」

Q.では、従業員が勤務先から過払い金の返還請求を受けたとき、手元にお金がなくて、返還が困難な場合はどうでしょうか。この場合も財産を差し押さえられる可能性はあるのでしょうか。

佐藤さん「従業員に返還の意思があれば、勤務先と話し合い、分割払いにしてもらう方法などが考えられますし、未来の賃金から控除して支払う方法もあり得ます。

労働者の生活の安定を確保するため、賃金は全額払いが原則となっていますが(労働基準法24条1項本文)、労使協定がある場合(同法24条1項ただし書き)や本人の経済生活の安定を脅かす恐れのない場合、後に支払われる賃金から控除できることがあります。従業員本人が自由な意思に基づき、今後の賃金からの控除に同意しているのであれば、この方法が認められる可能性が高いでしょう。

このように、従業員に返還の意思があれば、今、手元にお金がなく、一括で返還することが困難な場合でも、さまざまな方法で返還することが可能なので、いきなり財産を差し押さえられる可能性は低いでしょう」

(オトナンサー編集部)

佐藤みのり(さとう・みのり)

弁護士

神奈川県出身。中学時代、友人の非行がきっかけで、少年事件に携わりたいとの思いから弁護士を志す。2012年3月、慶応義塾大学大学院法務研究科修了後、同年9月に司法試験に合格。2015年5月、佐藤みのり法律事務所開設。少年非行、いじめ、児童虐待に関する活動に参加し、いじめに関する第三者委員やいじめ防止授業の講師、日本弁護士連合会(日弁連)主催の小中高校生向け社会科見学講師を務めるなど、現代の子どもと触れ合いながら、子どもの問題に積極的に取り組む。弁護士活動の傍ら、ニュース番組の取材協力、執筆活動など幅広く活動。女子中高生の性の問題、学校現場で起こるさまざまな問題などにコメントしている。

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