叱られることで注目を引く「かまってちゃん」 わが子の承認欲求、どう満たす?
どんなに頑張っても誰からも注目されないと、子どもは叱られることや注意されることで存在をアピールしようとすることがあります。そんなとき、どうしたらいいのでしょうか。

人は“認めてもらいたい生き物”です。「自分の存在価値を認識したい」「褒めてもらいたい」という承認欲求があるからです。しかし、どんなに頑張っても誰からも注目されないと、今度は叱られることや注意されることで存在をアピールしようとすることがあります。
悪い行動には触れない
私は長年、幼児教室で子どもたちの指導をしていましたが、叱っても叱っても態度がよくなるどころか悪くなる男の子がいて、困り果てていました。ところが、ある日、私が他の子に関わっているときに限って、その子が椅子を倒したり、鉛筆を投げたり、友だちに唾を吐いたりしていることに気が付きました。
実は、その子には目的がありました。家庭で下の子が生まれ、家でもお漏らしをしたり、哺乳瓶を欲しがったりするなど、いわゆる「赤ちゃん返り」をしている状態だったのです。そして、母親は「お兄ちゃんになったのにどうしてそんなことをするの!」と叱ってばかりいました。
教室でも、他人である私に対して「僕だけを見て見て~」という自己アピールの気持ちが強く、“かまってちゃん”になっていたのです。家庭で母親が赤ちゃんに関わるのを妨害するように、私が他の子に関わっているのが面白くなく、自分のところに私を呼び寄せるためにこのような行動に出ていたのです。叱られるようなことをすればするほど、大人は構ってくれて、彼の望みがかないます。注意を受けることをむしろ喜びとし、態度がますます悪化していました。
さらに、私は教室全体の中での評価しかしておらず、「彼は他の子に比べて態度が悪く、扱いにくい子」と感じていて、静かに座っている瞬間があっても、それについては無言でいました。そして、何か事をしでかしたときだけ注意したり、叱ったりしていました。
すると、彼は「僕はどんなに努力しても他の子と同じようないい子ではいられないし、ちょっと頑張っても先生は気付いてくれない。だったら、悪い行動をした方が先生は気付いて、僕にかまってくれる」と考えたようです。つまり、遠い道のりである「100点を取る」ことではなく、「0点を取る」方が手っ取り早いことを学習してしまったのです。
私はそのことに気付いてからは、彼が雨の日でも休まず教室に来ていること、一人でトイレに行けること、風呂に毎日入っていること、髪の毛がグチャグチャになっていないことを褒めるようにしました。筆箱やノートなどの忘れ物をしても、そのことには一切触れず、「教室にやってきた」ことだけを褒めたのです。すると、あれだけ叱っても態度が改善しなかったのに、次第に問題行動がなくなっていきました。
子どもの問題行動が「叱られてもいいから、自分だけを見て」という心の叫びからくるものだった場合、叱れば叱るほど事態は悪化するのです。
「いつも見ているよ」が愛情表現
行動主義心理学に「“負の行動”を強化せず、“正の行動”を強化する」という考え方があります。悪い行動を叱ることで強化するのではなく、よい行動を認めて強化するというものです。例えば、学習態度が悪くても「一瞬でも座っていることができた」なら、その他の面を“正の行動”として認めることで強化します。
「席に座っている」「片付けている」「静かにしている」などの“正の行動”を褒め、「立ち歩く」「物を散らかす」「騒ぐ」などの“負の行動”は可能な限り、知らんぷりをします。すると、子どもは「悪い行動(負の行動)をしても無視される。でも、よい行動(正の行動)をすれば構ってもらえる」と考えるようになり、やがて、負の行動が減っていきます。
かつて、コンビニでの“おでんツンツン男”が話題になりました。男性はコンビニで販売中のおでんを指で繰り返しつついて販売できなくさせた上、店の業務を妨害したとされ、器物損壊と威力業務妨害の疑いで逮捕されました。男性はおでんをつつく様子を撮影した動画をインターネットに投稿し、炎上したら、鼻をほじりながら「反省しています~」と話す動画を続けて投稿し、再び炎上しました。
その後、模倣犯まで出てきて、牛丼店にある備え付けの紅しょうがのトングを使って、自分の食べかけの牛丼をかき混ぜる動画を投稿する男性も現れました。「よい行動を取ってもネット上では注目されない。だったら、悪い行動を取ることで注目されよう」とする心理なのかもしれません。
こうした悪い行為を撮影した動画が上がっても「無視」をすることには大きな意味があると思います。テレビでも取り上げず、ネットでも炎上しなければ、「どう頑張って悪さをしても誰からも注目されない」となり、こうした投稿は少なくなるのではないでしょうか。
子育てについても同じように考えてみましょう。家庭での「よい行為」は特別なことである必要はありません。食後に自分で食器を下げた、自分から「おはよう」と親にあいさつできた、親に言われなくても手洗い・うがいをした――。そんな、ささいなことでよいのです。褒め言葉を掛けることで「あなたのことをいつも見ていて、ちゃんと評価しているのよ」という愛情表現になります。そうすればおのずと、よい行動が増えていくでしょう。
(子育て本著者・講演家 立石美津子)
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