しつけ優先は人の道外れる、子どもの成長に必要なリスペクト
親が子どもをしつける場合、「何やっているの!」「ダメでしょ!」などと一方的に突き放す傾向があります。しかし、これでは子どもが健やかに育ちません。

立派な大人になってもらおうと、親が子どもをしっかりしつけたい気持ちは分かります。しかし、「しつけ」を優先するあまり、子どもの気持ちをないがしろにするのは、人間として正しい行為とはいえません。子どもが健やかに育つためには、まずは親自身が一人の人間であることを自覚する必要があります。
子どもに共感力を示すこと
以前、こういう光景を見たことがあります。駅の改札で、子どもが「切符がない」と言って泣き出しました。持ち物から察するに、親子でハイキングにでも来たのでしょう。親は「だらしがないからだ。いつも言ってるだろ」と叱りつけ、「早くしなさい」と言うばかりで、手伝いもしないでにらんでいます。
多分、その子は日頃からだらしなく、親は「直さなければ」と思っているのでしょう。せっかくの楽しい時間が台無しで、筆者はとてもかわいそうに思いました。
こういうときは、親がまず「大丈夫だよ」と言って安心させてあげて、それから、一緒に探してあげるのが人間として当然の行動だと思います。そうすれば、子どもは親に感謝しますし、ますます親のことが好きになります。また、友達や兄弟が困っているときに、自分が親と同じような思いやりのある行動ができるようになります。
しかし、親には「しつけなければ」という思いがあるので、この当然のことができません。このように、親が「しつけ」を優先することで、人間として当然のことができなくなることがよくあります。
職場でできて、子どもにはできない
もし、一緒に歩いている人が転んだら、普通はまず「大丈夫?」と声を掛けて、それから起き上がるのを助けるはずです。これが人間として当然の行動です。ところが、子どもが転んだときは、親の中には「何やってるの。ちゃんと歩かなきゃダメでしょ」と叱り、さらに「泣いていないで自分で起きなさい」などと突き放してしまう人がいます。
もし、大人同士で一緒に食事をしている人が「もう食べられない」と言ったら、笑いながら「そうだよね。この店、ちょっと量が多いよね」などと言うはずです。ところが、子どもが「もう食べられない」と言うと、親の中には「残さず食べなきゃダメ」などと言って、無理やり食べさせようとする人がいます。
もし、職場で誰かが「ああ、こぼしちゃった」などと言えば、近くにいた人がみんな手伝います。ところが、家庭で子どもが散らかした場合は「自分で片づけなきゃダメだよ。どんどんやりなさい」と突き放す親が多いはずです。
もし、職場の同僚が「企画書なんて…ああ、やる気ない」と愚痴をこぼしたら、「面倒くさいよね。ホント、嫌になっちゃうよね」と共感する人が多いと思います。しかし、もし、子どもが「宿題なんて…ああ、やる気が出ない」と愚痴をこぼしたら、「どんどんやらなきゃダメでしょ」と門前払いしてしまう人が多いのではないでしょうか。
本当は、次のように共感してあげることが大事です。
子「宿題なんて…ああ、やる気が出ない」
親「大変だね」
子「そうだよ。6時間目の体育がマラソンで疲れたし、その後で塾にも行ってまた疲れたし、それでまた宿題だよ」
親「それは疲れるよね。あなたも大変だ」
このように親に共感してもらえると、子どもは「自分の大変さが分かってもらえた」と感じて気持ちが楽になります。
そして、しばらく時間を置いて、「でも、そうは言ってもまったくやらないわけにはいかないから、2、3問だけでもやってみようか。手伝ってあげるから」とハードルを下げて言ってみます。すると、子どもは自分の大変さを分かってくれている人が言ってくれるので、「しょうがない。やるか」となりやすいです。
それに、子どもにも「やらなければ」という気持ちはあるので、ハードルを下げて言われるとやる気になりやすいです。
ところが、子どもにこのような共感的な対応ができる親は少ないです。職場ではほとんどの人ができるのに、子どもにはできないのです。これも、親がしつけを優先して人の道から外れる例だといえます。
しつけと虐待の共通性
子どもを虐待した親は必ず、「しつけのためにやった」と言います。しつけのために、人の道を外れたわけです。虐待ほどひどくなくても、本質的には同様のことを数多くの親たちが日々行っています。
大切なことをもう一度言います。しつけを優先すると、人の道から外れます。親である前に人間でありたいものです。わが子とも、お互い一人の人間同士として付き合うことが大切です。
そうすれば、子どもへの一定のリスペクトが生まれ、自然に丁寧で思いやりのある接し方ができるようになります。すると、それが子どもにとってのモデル(お手本)となり、子どもも他者に対して同様の接し方ができるようになります。
「子どもは親の言うことは聞かないが、することはまねる」ということわざの通りになります。
(教育評論家 親野智可等)
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