学校での「暴行動画」SNS投稿相次ぎ「人権侵害」と批判も…問題視する人に欠けている“決定的視点”
「自力救済」の歴史とは?
そもそも自力救済には長い歴史があります。人類史において、他者からの暴力に対して自力救済で対処することは平常運転でした。古代または中世の時代、被害者の家族や親族、あるいはその者が所属する氏族的集団が本人に代わって復讐を遂行していました。これは世界的に見られる傾向で、古代の日本でも同様でした。
法学者の穂積陳重(のぶしげ)は、人類史における復讐の位置付けの変遷を「復讐義務時代」「復讐制限時代」「復讐禁止時代」の3つに分けて説明しています(『復讐と法律』岩波文庫)。「復讐義務時代」は、法律以前の原始社会において、復讐を美徳とし、親戚や同族人に報復の義務があるとされていました。
次の「復讐制限時代」は、復讐義務者の範囲を縮小し、復讐方法を限定するなど、統治者が私闘のルール作りに乗り出した段階を指しています。復讐の届け出はその一つで、古代中国の例として、復讐を官司に申告する制度を挙げています。古ゲルマン社会の例では、復讐をしようとする者は事前に裁判所の許可を受ける必要がありました。
最後の「復讐禁止時代」は、「法律完成の時代」に当たり、復讐に代わって行政機関が刑罰を科すようになり、裁判所を通じた賠償請求が可能になった近代以降の世界です。
穂積が解説した私的制裁から公的制裁への流れを踏まえると、証拠動画を「さらす」ことは決して突飛な行為などではありません。重要なことは、現代のように復讐が違法になった時代であっても、当事者が“無法状態”に置かれていると感じれば、まるで先祖返りのように自力救済が復活するということなのです。
その一方で、暴行動画の拡散を促してしまう別の要因にも触れておく必要があります。いじめや虐待など、学校内における暴力をいわばエンターテインメントに変えてしまう、「内輪のノリ(仲間内の承認)」とスマホの相乗効果による影響力です。
現在、米国では、スマホなどによる動画撮影とその共有が生徒間の暴力行為を助長し、場合によってはエスカレーションの原因になっていることが大問題になっています。共有された動画によって、新たないじめや暴力を誘発することも頻繁に見られます。
ニューヨーク・タイムズによると、マサチューセッツ州、カリフォルニア州、ジョージア州、テキサス州を含む12州以上でこの問題を調査した結果、中高生がスマホやSNSを悪用し、仲間内で残虐な暴行の映像を仕組んだり、煽動したり、撮影したり、拡散したりするパターンが明らかになりました(How Student Phones and Social Media Are Fueling Fights in Schools/2024年12月15日/The New York Times)。
流出している暴行動画の多くは、過激な暴力行為を仲間内で共有するという目的のために撮られていることがうかがえます。冒頭で取り上げた栃木県内の高校で撮影された動画は、けんか自慢などが強さを競う格闘技イベント「ブレイキングダウン(BreakingDown)」のまねをしたともいわれています。
つまり、暴行やいじめを「仲間内で盛り上がるためのコンテンツ」と捉えているふしがあるのです。次に、その行為に周囲から称賛が集まることで、加害者の自己顕示欲が満たされ、行動が強化されるメカニズムが働いていることが推測されます。ほとんどの動画に、楽しそうにはやし立てる生徒たちが映っているのはそのためです。
人権侵害や誹謗中傷を防ぐために、暴行動画の投稿や拡散を止めることばかり考えている人は、先述の学校などの無策による自力救済の復活と、暴行動画のエンタメ化によるエスカレーションの視点が不足しています。まず、手を付けなければならないのは、いじめを根絶するための効果的な取り組みの推進です。
例えば、「加害者生徒に拘禁刑や罰金を科す」「加害者生徒を強制的に転校させる」など、欧米並みの厳罰化の検討はもちろんのこと、SNSでの「いいね」欲しさが逸脱行為を後押しする心理に関する教育も必要になるでしょう。当たり前ですが、子どもたちも頭が悪いわけではありません。私たち大人の振る舞いを常に見ているからこそ、良くも悪くもそこから学習し、その都度さまざまな判断を下しているにすぎないのです。
(評論家、著述家 真鍋厚)




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