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死んだ人に「弔辞」を述べる意味はあるの? 必要ないという人に考えてほしいこと

「弔辞は必要ない」という人へ

 現代において、多くを占める家族葬では、弔辞はありません。これは、弔辞が葬儀の中で必須ではないからです。葬儀をどのように行うかは遺族に任されています。故人がどう意思表示をしようと、葬儀を行うときには亡くなってしまっているのですから、意思を受け止めた上で決定するのは遺族です。やるか、やらないかを強制されていないものを「意味がある」とか「意味がない」と言っても何も変わりません。

 弔辞を読んでほしいと思い、読むにふさわしい人がいるなら、依頼をすればいいですし、そうでなければ、弔辞がなくても、葬儀は問題なく進行できます。むしろ、弔辞がない葬儀の方が多くなっているのが現在の葬儀の状況です。これは「弔辞が必要ないから」というわけではなく、高齢化が進み、葬儀に参列する人数が少なくなり、「故人の人柄はみんな知っているから、誰かにわざわざ、弔辞として頼まなくていいよね」という認識になったからに他なりません。

 その分、かしこまっていない形で故人に言葉をかける時間を長く取り、お別れの時間を重視する葬儀に変わってきたといえます。現代は全てのことにおいて、「意味があるかどうか」を問う世の中になりつつあります。「意味のないことはやめてしまえばいい、その方が分かりやすい」という価値観が、不景気の中で少しでもお金を、そして、労力を節約したい、むしろ、節約せざるを得ない精神構造になっているからではないでしょうか。平易な言葉でいえば、「余裕がない」ということです。

 しかし、これまで続いてきた文化は、たとえ、言語化できずとも一定の価値があって存続しているものがほとんどです。「別れの言葉を故人にささげる」のは生きている人にとっても、亡くなった人にとっても大切なことです。この行為が無意味であれば、故人に言葉を送る文化がこの時代まで続いているとは考えられません。

 損得や満足・不満足で考えれば、近しい人の死に際して、別れの言葉をささげても、得や満足は得られないかもしれません。しかし、人間はそんなとき、何かを発せずにいられないものです。そうした営みが、家族や仲間といったつながりが続いていくコミュニケーションの一つだと筆者は感じています。

(佐藤葬祭社長 佐藤信顕)

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佐藤信顕(さとう・のぶあき)

葬祭ディレクター1級・葬祭ディレクター試験官・佐藤葬祭代表取締役・日本一の葬祭系YouTuber

1976年、東京都世田谷区で70年余り続く葬儀店に生まれる。大学在学中、父親が腎不全で倒れ療養となり、家業を継ぐために中退。20歳で3代目となり、以後、葬儀現場で苦労をしながら仕事を教わり、現在、「天職に恵まれ、仕事も趣味も葬式」に至る。年間200~250件の葬儀を執り行い、テレビや週刊誌の取材多数。YouTubeチャンネル「葬儀葬式ch」(https://www.youtube.com/channel/UCuLJbkrnVw6_a35M0rk8Emw)。

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