本能? スリルが欲しい? 人が「心霊スポット」に引き付けられる理由
「霊がいる」という感覚
もう1つ重要なポイントは、「霊のリアリティー」に関する事柄です。現在、人の死は、「呼吸停止」「心拍停止」「瞳孔散大」という死の3徴候に基づき、医師によって確定されるのが当たり前となっていますが、近代以前は違いました。肉体から霊魂が抜け出ることが死の本質でした。
その証拠に、日本では、明治時代の頃まで、「招魂・魂呼(しょうこん・たまよばい)」という儀礼が行なわれていました。
それは臨終の前後に、死者の身内の男性などが、大声で死者の名前を呼ぶもので、枕元で呼ぶ場合、屋根など高い所へ上って呼ぶ場合、井戸の底などに向かって呼ぶ場合の3つのパターンがありました(井之口章次「日本の葬式」、ちくま学芸文庫)。
今では想像がつかないかもしれませんが、当時は、死者から抜け出し、他界に向かっていく霊魂を、呪法によって呼び止められると考えられていたのです。
このようなあの世とこの世が地続きという感覚、もっといえば「霊がいる」という感覚が「非科学的」「うさん臭い」と言われ始めたのは、人類史から見て、特に日本では今から150年ほど前です。
バレットの仮説に加えて、多くの民俗学資料により明らかになっている「招魂・魂呼」から、私たちがいかに「霊の存在を当然」とする世界を生きてきたかが分かるのではないでしょうか。
霊については、さらに興味深い知見があります。
米国の心理学者のジェシー・ベリングは、「ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能」(鈴木光太郎訳、化学同人)で、世間でよく耳にする「死後の世界」は「死の恐怖」がでっち上げた妄想という俗説を否定し、死後も心が残ると考えがちになるのは、「私たちは意識がない状態を意識的に経験したことなどない」ことに求められると述べました。「死の恐怖と死後の世界に対する信念との間にはいかなる相関も見いだしていない」と。
これはベリングをはじめとした進化心理学に取り組む複数の研究者が有力な仮説として示したものです。言い換えれば、仮に「魂は存在しない。死後は無」と信じていたとしても、自分がいなくなった後の「死後の風景」を思い描いてしまうのは、「意識がない」ことが想像しづらいからです。
普通、「意識がない」なら「死後の風景」を見ることができません。つまり、世界中のどのような社会にもほぼ例外なく見いだせる「あの世の概念」は、死後も自分の心が存在し続けると見なす心の理論の産物なのです。
「行為主体を敏感に検出する装置」(HADD)、人の死は肉体から霊が抜けることで起こるという死生観、そもそも「意識がない」ことを考えることが困難な私たちの心の働き-これらは、人々が怪奇・心霊モノに熱中し、もっともらしく感じてしまう際の心理的な基盤になっていると推測されます。
もちろん、これらの特性が悪用される場合もあります。霊感商法やカルト宗教といったスピリチュアル・ビジネスです。
しかし、裏を返せば、私たちの多くは軽やかにその魔の手を回避し、ホラーや謎解きを楽しむという知的遊戯に興じています。ここには、進化の過程で実装された能力で、人生でつまずいてしまわないための重要なヒントが隠されているといえるかもしれません。
(評論家、著述家 真鍋厚)





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