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IKEAとサンリオの炎上から読み解く ネット上での「安易なバッシング」の問題点とは?

性差の表現を理由に、家具量販店「IKEA」のCMやサンリオのグッズがネット上で相次ぎ炎上しました。その背景や問題点について、考えました。

ネット上での安易なバッシングが、社会問題の解決を困難にする
ネット上での安易なバッシングが、社会問題の解決を困難にする

 昨年末以降、家具量販店「IKEA」が配信した、父親が娘と一緒にソファでテレビを見ている所に、母親がトレーで食べ物を運んでくるCMや、サンリオが監修した「女の敵は、いつだって女なのよ」「一度や二度の失敗でくよくよするような男をつかんだら一生の不覚よ」などと書かれたキャラクターグッズが、ネット上で相次ぎ炎上しました。

 近年、性差の表現が炎上しやすくなっている傾向がありますが、見方を変えると、CMやグッズをたたいて炎上を引き起こしている人たちは、SNSでネタになりやすい話題を好んで取り上げ、スマホで「指先だけ」を動かして安易にクレームを言い、ストレスを発散しているといえます。そして、そうした炎上行為が逆に、ジェンダー問題解決へ地道に取り組んでいる人たちの努力を台無しにしている、という一面が浮かび上がります。

「自らの正義主張」と「排除」が主目的

 まず、このような炎上の背景として、ネット上ですでにコンテンツとして可視化され、簡単にシェアできるものが、炎上の対象になりやすいという身もふたもない事情があります。IKEAのCMは、ツイッターやYouTubeで15秒ほどで確認できるものでしたし、サンリオのグッズは、発売前からバレンタイン商品として宣伝されていました。これはかなり本質的な要素です。

 次に、SNS特有のメカニズムが炎上の拡大を後押しします。影響力のあるインフルエンサーなどがコンテンツの有害性を判定し、その見解に対して、怒りなどの感情で一致団結した人たちが進んで拡散していくのです。

 とりわけスマホで日常的にSNSをチェックしている人は、SNSユーザーになる以前はまったく知らなかった不愉快な表現や、差別的な個人・集団の存在を繰り返し目にする情報環境に身を置いています。そのため、それらに不安や脅威を感じることで、「被害者としての自己」と「攻撃すべき他者」を同時に発見することが起こり得ます。

 このようなリアルな感情とスマホのようなデバイスが一体化した過剰接続の時代においては、ちょっとした怒りや不満をスマホの操作だけで解消しようとする抗議活動やバッシングに乗りだしやすく、それを通じた連帯感による自己承認と気分の高揚にあらがいづらくなるのです。しかも、相手はただのCMや商品であり、たたく側のリスクはほぼゼロで、自己主張の良い機会にもなるため、SNS上で他人から「いいね」(他人の投稿に対して、共感などを示す機能)がもらえることを考えると、コストパフォーマンスの良い発散方法といえるかもしれません。

 昨今、このような、何かをたたいて排除することが目的化した傾向を「キャンセルカルチャー」と呼んでいます。企業の広告や有名人の発言に対して、執拗(しつよう)に撤回・謝罪などを求め、最悪の場合、信頼の失墜と社会的な抹殺までをもくろむネット上の運動です。

 世間的にジェンダーなどのセンシティブな問題への関心が高まるのは大変良いことなのですが、その一方で、先述した、SNSが持つメカニズムにあまりにも無頓着なために、公共性のない空騒ぎに終始している例も、後を絶ちません。社会運動の視点で見た場合に、その驚くべき非効率性が浮き彫りとなります。

 例えば、女性全体の社会的地位の向上や、ジェンダーギャップの解消を推進するためには本来、政府はもちろんのこと、個々の政治家や経営者団体などに直接働き掛けるロビー活動やPR活動を行うのが効果的といえます。

 しかし、キャンセルカルチャーを好む人たちは、そのような手間暇はかけません。不愉快だと感じた広告や表現をつぶすことで、自らの正義を声高に主張するだけです。話し合いの余地はほとんどなく、視界から除去すれば終了です。終了すれば、ネット上の団結も、うそのように消えてしまいます。

本当の問題は温存、悪循環へ

 確かにスマホの操作だけで済んでしまうので、一見効率は良さそうなのですが、企業はクレーマー対策(消費者への配慮)の強化へとかじを切るだけです。その結果、CMや商品といった見た目の表現が無難なものになるだけで、むしろ社会の中枢に巣くっているジェンダーギャップは温存されます。

 なぜなら、これらの抗議活動やバッシングは、男女の賃金格差などの現実的な不平等の是正といった、社会課題の克服の一環というより、オンラインで完結する、ただのコンテンツたたきだからです。「つぶせば終了」なので地道な社会運動につながりません。むしろ、学校の風紀委員の自己満足のような状態に近くなります。

 このような炎上騒動が報じられるたびに、「ポリティカル・コレクトネス(人種、性別などの違いによる差別や偏見を含まない、中立的な表現や用語を用いること。政治的な正しさ)」のイメージが低下するという悪循環も生じます。

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真鍋厚(まなべ・あつし)

評論家・著述家

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。著書に「テロリスト・ワールド」(現代書館)、「不寛容という不安」(彩流社)、「山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義」(光文社新書)。

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