「いじめ」認知件数増はいいこと? 悪いこと? その先の行動へ
子どもたちがいじめや虐待から身を守れるように、関係する法律を易しい言葉で表現してまとめた「こども六法」の著者が、社会のさまざまな問題について論じます。

文部科学省が毎年行っている「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」の2019年度における調査結果が10月に公表されました。ちまたでよく聞く「いじめの認知件数」という統計はこの調査に含まれているもので、今年も過去最多を更新しました。
「今年も」と申し上げたのは、この「いじめの認知件数」は5年連続で過去最多を更新しているからです。このように聞くと「ここ数年でいじめが増え続けている!」「いじめ問題はますます深刻になっている!」と感じるかもしれませんが、実際はどうなのでしょうか。
広がる「いじめの定義」
「いじめを発見するのは難しい」ということは改めて触れるまでもない事実です。加害行為が「バレないように」と陰湿化しているだけでなく、被害者側も「いじめられていることを知られたくない」と周囲に相談しなかったり、大人の前では平気そうに振る舞ったりするため、最初は軽いふざけや小競り合いだったものが、周囲が気付いた頃には深刻な事態に陥っていたということが往々にしてあるからです。そして、「いじめの認知件数」とは、学校や教師がいじめを「認知した」件数のため、「実際にいじめが起きている件数」とは限りません。
国立教育政策研究所による調査では、小中学生のいじめ被害経験率は大きくは増減していない可能性が示されており、常に一定数のいじめが起きていることが考えられます。「発見されていないいじめ」は発見されていない以上、実数は不明なのですが、もしも、実際に大きな増減がないのであれば、教師や学校によるいじめの認知件数が増加しているということは「誰にも発見されることなく、見過ごされているいじめ」がむしろ、減少していることが考えられます。実際に、文科省はいじめ認知件数の増加を「初期段階からいじめに対応している証左」として評価する姿勢を示しています。
いじめ防止対策推進法における、いじめの定義は「被害者が嫌だと思ったらいじめ 」という非常に広いものになっています。ニュースで耳にする悲惨ないじめ事件に対する学校の対応の中には「明らかにいじめなのに学校側がぬらりくらりといじめ認定しない」というものがまれにありますが、法律上のいじめの定義は非常に広く、軽微な段階から、「いじめかもしれない」と疑って対処することを学校現場や教育委員会に求めています。
その「軽微な段階」には例えば、東京都教育委員会の資料によると「好意で行った言動」、具体的には「発言の苦手な子どもに『○○さんも意見を言いなよ』と強く促した」という事例も含まれています。多くの人にとっては「そんな普通のことまでいじめになるの?」と驚くような事例だと思いますが、意図的な隠ぺいが疑われる「いじめ認定の回避」が繰り返しされてきた反省から、何度も「いじめの定義」の改定が行われ、現在ではこのような定義にすることを通じて、「大したことないと思っても、被害者が『つらい』と思っているなら、いじめに認定する」ということになっているのです。
この定義に対しては「そんなに広い定義だと、何でもいじめになるじゃないか」という批判が当然、あるわけですが、少なくとも、統計上のいじめ認知件数が年々増加しているのは現行の定義が浸透していることが一因だと考えられます。これは傾向としては、文科省の狙い通りだと評価できるでしょう。今のところ、いじめ対策の原則は厳密にいじめを見分けることではなく、結果的にいじめではなかったとしても、広く、いじめを疑って迅速な初動を実現することを重視しているからです。
この傾向が続けば、今後もいじめの認知件数は増加し続けると考えられますが、多くのいじめが認知されるようになってくれば、次は、それらのいじめから子どもたちを救うことが大切です。私たちは今後も増加していくであろう認知件数の数値に一喜一憂するのではなく、認知されたいじめがきちんと解決されているかどうかというアフターフォローの動向に目を向けていかなければいけません。
いじめを見つけることはそれ自体が目的なのではなく、いじめに悩む子どもを救うための手段の一つ、しかも、その入り口にすぎないからです。
(教育研究者 山崎聡一郎)



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