厳罰化や廃止論も…「少年法」を考える上で、私たちが理解すべき基本とは
子どもたちがいじめや虐待から身を守れるように、関係する法律を易しい言葉で表現してまとめた「こども六法」の著者が、社会のさまざまな問題について論じます。
2022年4月に改正民法が施行され、「成年年齢」が18歳に引き下げられます。「大人といえば20歳以上」という私たちの常識が変わることになります。ここで問題になるのは、さまざまな法律で「20歳以上」とされてきた年齢規定です。施行に合わせて、18歳になれば両親の同意なく結婚ができるようになったり、10年有効なパスポートを作れるようになったりする一方、飲酒・喫煙は20歳以上の制限が維持されます。健康面への影響や非行防止等の観点からです。
その中で話題になっている法律の一つが「少年法」です。現行の少年法で対象となる「少年」は「20歳未満の者」とされており、それを18歳に引き下げるか否かが主な論点ですが、並行して、少年法厳罰化の議論も展開されています。少年法については「厳罰化が必要」「そもそも廃止すべきだ」という人もおり、ネガティブなイメージを持つ人が少なくありませんが、一方で、その趣旨や内容があまり理解されていない側面もあり、その前提を欠いた議論がしばしばみられます。
少年法の有意義な改正や運用にあたっては、現行の少年法を理解することがスタートになります。「こども六法」では1章を割いて少年法を取り上げましたが、この記事では、その概要を解説したいと思います。
少年法がないと困る?
少年法はその目的を第1条で「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正および環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずること」と定めていますが、実際のところ、これは「子どもを守る」という目的であるとともに「社会を守る」という目的につながっています。
犯罪を防ぐ刑事制度の目的は、大人が相手でも子どもが相手でも変わらず、「犯罪によって人権侵害を受ける被害者が生まれないようにすること」です。「刑罰という不利益」を予告することで犯罪行為をけん制するとともに、犯罪をしてしまった人に対しては刑罰を通じて更生を促し、再び、私たちと同じ社会で「犯罪をせずに」一緒に生きていくことができるようにすることを目指すものです。
ところが、大人に対して運用される刑事制度を子どもにもそのまま当てはめると困ったことが起きます。まず、子どもは未成熟故に刑罰の予告が効果的ではないという点です。大人はある程度、身体的にも精神的にも成熟していますから、刑罰という不利益の予告を通じて「刑罰を受けたくないから犯罪をしない」というインセンティブが働きます。一方の子どもは衝動的な行動が多く、「刑罰が怖い」という動機で犯罪行為を抑制できない可能性があります。
ここで「可能性がある」と濁したのは、この分野があくまでも筆者の専門外であるため、筆者の知見からは断定することができないのと、厳罰化論者の論拠の一つである「子どもは自身が少年法で守られていると認識しているから凶悪犯罪に走るのだ」という主張と相対する論点だからです。この点は、どちらの主張に妥当性があるかという点を科学的なエビデンスも踏まえて議論が進められていく必要があるでしょう。
刑事制度を子どもに当てはめる問題点の2つ目は、学校教育を受ける機会の喪失です。義務教育途中の子どもが例えば、懲役刑を受けることになった場合、刑期の間は本来受けるはずだった学校教育を受ける機会を喪失することになります。教育を受ける機会を失えば、社会で生きていく基礎的な素養を学ぶ機会を失うことになりますから、将来困窮したり、再び犯罪に手を染めたりしてしまうリスクが高くなります。犯罪を防ぐための刑事制度が将来の犯罪を招くという矛盾を引き起こしてしまうのです。
同時に、少年は教育を通じた更生の余地が大人に比べて大きいとされています。これらの理由から、少年法が犯罪に当たる行為をした少年に刑罰ではなく教育を与えることが強調されるのです。
そして、第3の理由は、少年法がないと13歳以下の子どもが行った犯罪は問答無用で「無罪放免」となることです。これは多くの人にとって意外かもしれませんが、「刑法」という法律には「14歳に満たない者の行為(犯罪)は罰しない」という規定があります。その理由となる「責任年齢」という議論はこの記事では割愛しますが、少年法が廃止された場合、13歳以下の犯罪は刑罰はもちろん、特別な教育や対処すら行われなくなってしまいます。
犯罪に当たる行為をしたすべての少年に厳罰を与える目的で少年法廃止を訴えるなら、刑法改正も同時に議論しなければいけないのです。
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