死刑囚初の再審無罪、免田栄さん死去 「死刑とは何か」考える機会になる
子どもたちがいじめや虐待から身を守れるように、関係する法律を易しい言葉で表現してまとめた「こども六法」の著者が、社会のさまざまな問題について論じます。
12月5日、一人の男性の訃報が九州から届きました。95年の生涯の中で青壮年期の34年間を、無実の罪のために死と向き合いながら獄中で過ごした人です。男性の生涯は私たちに重い問い掛けを残しました。
「死刑やむなし」8割だが…
あなたは「死刑」という刑罰に賛成で、存続すべきだと思っているでしょうか。それとも反対であり、廃止すべきだと思っているでしょうか。きっと、学校教育の中でも触れたことがあるであろう「死刑廃止」というテーマは長年にわたって、絶えず議論が続けられています。
国家が国民の生命を奪ってしまってもいいのか、かといって、奪われてしまった被害者の生命を尊重する意味で、死刑以外の刑罰はバランスが取れているのか。死をもって償わせるべきか、生きて償わせるべきか。きっと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
死刑制度はよく言われるように、世界的には廃止の流れが進んでいます。一方で、日本は2019年度の内閣府「基本的法制度に関する世論調査」によると、「死刑は廃止すべきである」という回答が9.0%であったのに対し、「死刑もやむを得ない」という回答は80.8%となっており、多くの日本人が場合によっては死刑もあり得る選択肢であり、「廃止すべきだ」とまでは考えていないことが分かります。かくいう筆者もまた、「死刑もやむを得ない」と考えている一人です。
長い獄中生活の末、無罪に
今年12月5日、元死刑囚の免田栄さんが亡くなりました。「元」というのは、免田さんが受けた死刑判決が冤罪(えんざい)だったということです。死刑判決が確定した後、5回にわたって再審請求をしては却下を繰り返され、6回目の再審請求が実って、その後の裁判でようやく無罪となりました。無罪が確定するまでの獄中生活は34年に及びました。
もしも、免田さんの死刑が執行されていれば、無実の人が国家によって殺害されてしまうという最悪の悲劇が起きていたことになります。その最悪の悲劇こそ回避されたものの、免田さんが無罪を勝ち取るまでの壮絶な過程を知ればこそ、「死刑とは何か」を改めて考えさせられます。
中には「日頃からまっとうに生きていれば、冤罪の疑いをかけられることなどない。普段から、やましいことをしているからこうなる」と思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。人の手によって運営されている制度に「完璧」はなく、たとえ、まっとうに生きていたとしても、突然、犯罪をした疑いをかけられることがあり得ます。そして、もちろん、まっとうに生きていなかったら、無実の罪で罰を受けても仕方がないというわけでもありません。
その「万が一」のリスクを排除する観点における「死刑廃止」論なのです。そして、この意味で、死刑廃止問題はあなたにとっても私にとっても決して、ひとごとではありません。
まず、考えてみる
一方で、ここまで頭で理解していても「じゃあ死刑廃止だ」とこの記事において声高に叫ぶことのできないわだかまりが筆者の中にはあります。自分の中にある「死刑存続」の論拠は自分の中にある「死刑廃止」の論拠ですべて説得できてしまうにもかかわらず、です。
死刑制度もやむを得ないと考えている人の中には、冤罪事件の詳細を知る過程で「廃止すべきだ」派に転じる人もいるでしょうし、もしかしたら、このような微妙な割り切れなさに悩むことになる人もいるかも知れません。しかし、ひとごとではない問題だからこそ、この機会に免田栄さんが直面した現実に、ぜひ触れてみていただきたいと思います。冤罪の経緯を振り返る記事はネットでも読めますし、免田さんが獄中での思いなどをつづった自伝も出版されています。
死刑の存廃に関する具体的な提言や行動に自らが動くかどうかは別として、そこで自分が何かを感じるということが、死刑制度が現に存在する社会で生き続ける上で大切な経験であるように思うのです。
(教育研究者 山崎聡一郎)
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