「育てられないなら産むな!」 放置親への非難は事態をかえって悪化させる
子どもたちがいじめや虐待から身を守れるように、関係する法律を易しい言葉で表現してまとめた「こども六法」の著者が、社会のさまざまな問題について論じます。
東京都大田区で8日間、高松市では炎天下の車中で15時間…置き去りにされた幼い子どもが、命を失いました。こうした事件が起きるたびに、子どもを放置した親に対して「育てられないなら産むな!」という非難の声が上がります。子どもをかわいそうと思えばこその非難ですが、そう叫んでも問題の解決にならないばかりか、むしろ、事態を悪化させかねないということを考えていきます。
「ひとごと」のままでいい?
「少子化問題が叫ばれています」などというフレーズは、もうかれこれ10年以上聞き続けていますが、一向に解消される気配がありません。2019年の出生数は1899年の統計開始以来、初めて90万人を切りました。減少ペースは、政府の試算を超えて早まってきているそうです。
出生数の問題と併せて問題となるのが、子どもへの身体的・精神的虐待やネグレクト(育児放棄)の問題です。近年、子どもの虐待死・放置死の事件が相次いで報道されています。現代の子どもは、生まれることも、大人まで育ててもらうことも一苦労というわけです。
このように「苦労している現代の親世代」という言い方をすると「いや、そんなの昔からそうだよ」「今の親は甘えている」という批判が必ずあるわけですが、議論の目標は少子化を解消すべく、「どうやったら、多くの子どもが大人まで安心して成長できるか」であり、その中には「どうやったら、現代の親世代が安心して子育てできるか」も含まれているのではないでしょうか。
育児に関する問題を、当事者である親世代の自己責任に背負わせるのは、子育てを終わった世代や筆者のようにまだ子育てを経験していない世代にとっては、とても「楽」です。「現役の親世代が子育てに苦慮していても、私たちには何の原因も責任もない」と思えますし、苦労して子育てを終えた世代は「私たちも苦労した。でも甘えなかったからこその喜びもあった。あなたたちもそうですよ」と優越感に浸ることもできるでしょう。
身体的・精神的虐待やネグレクトはもちろん許されませんが、虐待死や放置死のニュースを見る私たちは、どこかひとごとのような感覚でニュースに接していないでしょうか。
厳罰化では解決しない
ひとごとだという意識は「虐待・放置親は厳罰に処せ」といった処罰感情や、「育てられないなら産むな!」という自己責任論につながりやすいと筆者は考えます。
もちろん、子どもを守る議論の中で解決策の一つとして「厳罰化」が主張されるべきではないとまでは思いませんが、果たして、子育てのプレッシャーに耐え切れず、身体的・精神的虐待や放置に及んでしまう親が「刑罰が怖いから」という理由で、虐待・放置をしなくなるでしょうか。「もし、育てきれなくなったら厳罰が待っている」という状況は、子どもを産むことに一層強い負のインセンティブを働かせ、少子化に拍車を掛けないでしょうか。
「育てられないなら産むな!」という批判も、それに対する「だったら産まないよ」につながり、それが積み重なって、結局、冒頭に述べたような「想定よりハイペースな少子化」を招いたのではないでしょうか。
そして、少子化のツケは経済への影響という形で私たち全員に跳ね返ってきます。ひとごと意識は現役子育て世代の親も、まさに虐待の渦中にある子どもも、そして、将来の私たち一人一人も、誰も幸せになれない未来を招きかねません。
私たちにできることは?
子育て世代に対して、どのような支援ができるか考えることは私たち一人一人の問題です。「どうすれば、虐待や放置をしないで済んだのだろうか」という視点をもっと掘り下げられるようになると、犯罪を取り巻く問題も含め、虐待や遺棄の問題も少しずつ改善されていくのではないでしょうか。
あとは、どう支援するかです。国や地方自治体による公的な支援はもちろん必要だと思いますが、それを実現するために声を上げるのは私たち一人一人です。「私たちのためにも、子育て世代に支援してほしい」と主張することは私たちにもできることの一つです。
地域の子どもに声掛けをしたり、近所付き合いを密にしたりという、「昔」的なコミュニケーションも重要ですが、昨今はこのような地域交流に抵抗感が強い人もいるでしょうし、なじまない地域も出てきていると思います。
それでも、深夜に激しい泣き声が聞こえたり、子どもがあざだらけになっていたりして虐待が疑われるときはためらわず、189番(通話料無料の児童相談所虐待対応ダイヤル)に通報するなど、誰にでもできることが確実に存在します。
繰り返しになりますが、「他人の子育てを支援する」ことは「仕方ないから」でもなく「かわいそうだから」でもなく、自分のためにもなることです。そして、悲しいニュースが減っていったら、少しだけいい世の中になる気がしませんか。
(教育研究者 山崎聡一郎)
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