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アマチュアスポーツ報道は、苦難を乗り越えた“美談”に偏っていいのか

高校野球などアマチュアスポーツでは、厳しい練習や苦難を乗り越えたエピソードを美談として報道しがちです。これだけで、スポーツの本質が伝わるのでしょうか。

昨夏の甲子園決勝で敗れた金足農の選手たち。吉田輝星投手(現・日本ハム)の活躍が話題に(2018年8月、時事)
昨夏の甲子園決勝で敗れた金足農の選手たち。吉田輝星投手(現・日本ハム)の活躍が話題に(2018年8月、時事)

 高校野球などアマチュアスポーツをメディアが報道するとき、スポーツ選手が「厳しい練習や苦難を乗り越えた」というエピソードを美談として報道しがちです。その方が読者や視聴者が注目しやすいという事情があるのかもしれませんが、“スポーツの本質”という視点からは、疑問を感じることがあります。

 スポーツ報道で、美談のエピソードを伝えがちなままでよいのでしょうか。一般社団法人日本スポーツマンシップ協会理事で尚美学園大学准教授の江頭満正さんに聞きました。

合理的練習は「絵にならない」

Q.メディアは、スポーツ選手が「厳しい練習や苦難を乗り越えた」というエピソードを美談として報道しがちです。なぜ、そのような伝え方をするのですか。

江頭さん「メディアが美談として報道するのは、読者や視聴者に対して、その方が説明しやすいからだと思います。例えば、最近では、ラグビー日本代表の努力を表現するために、年間200日を超える合宿生活を引き合いに出すメディアが多数ありました。

彼らは、実際には科学的で合理的な練習を行っていますが、そうした練習が『絵にならない』『分かりにくい』などのメディアの事情で、『頑張った』ことが読者や視聴者に伝わりやすい表現へと取捨選択されてしまいました。たくさん汗をかいたこと、多くの時間を費やしたこと、それらを伝える方がメディアにとって簡単だからです」

Q.メディアがこうしたエピソードを報道しがちなのは、「読者や視聴者がそれを求めているから」という考えがあるためだと思います。実際に読者や視聴者は美談を求めているのでしょうか。

江頭さん「読者や視聴者も、過酷な練習を積んだアスリートを応援したくなります。自分の体験と重ね合わせられる練習量の多さは、ふに落ちるのでしょう。彼らの頑張りを見て『自分も努力してみよう』とシンプルに置き換えられます。

しかし、質を重視した専門的なトレーニングを見ても、『すごい専門機器があるからできるんだろうなあ』と自分のそばにはない設備に目がいってしまい、『明日からやろう!』となりにくいと思われます。

トップアスリートは長時間のトレーニングを行わないのが現在の主流です。午前中だけトレーニングを行い、残りの時間を悠然と過ごすトップアスリートは、読者や視聴者のイメージにそぐわないと思います」

Q.「厳しい練習や苦難を乗り越えた」という美談でないと、スポーツの本質は伝わりにくいのでしょうか。

江頭さん「『努力は報われる』という教育的な要素がスポーツの役割であるならば、美談は必要です。しかし、現在では、スポーツの役割は多岐にわたっています。例えば、スポーツには、国籍や肌の色、宗教の違いを分かり合える効果があります。また、厳しい環境に置かれた人を笑顔にする力や、スポーツマンシップを通して道徳力を伸ばす力があります。

こうした多彩なスポーツの価値を重視すれば、厳しい練習や苦難を乗り越えるという内容だけの美談はなくなるのではないでしょうか」

Q.そもそも、スポーツの本質とは何でしょうか。

江頭さん「スポーツとは『真剣に勝敗にこだわって、激しい運動を伴う遊び』であると私は考えています。そのため、第一に楽しくなくてはなりません。苦しいだけ、監督に叱責(しっせき)されてストレスだけのスポーツは間違っています。

練習は、最高に楽しいゲームをするための努力であるべきです。『勝利』というスポーツの目的の一つを達成するための努力であるべきです。決して『努力のための努力』であってはいけないのです」

Q.“スポーツ根性論”を美談に仕立てる風潮ががなくならないのはなぜでしょうか。なくすには、どのようにすればよいと思われますか。

江頭さん「スポーツと体育の違いを正確に整理し、根性論以外のスポーツの価値を報道できる教養あるメディアが増えることです。読者や視聴者に迎合するばかりではなく、骨太な報道ができる記者の存在が必要です」

(オトナンサー編集部)

江頭満正(えとう・みつまさ)

尚美学園大学准教授

2000年、「クラフトマックス」代表取締役としてプロ野球携帯公式サイト事業を開始し、2002年、7球団と契約。2006年、事業を売却してスポーツ経営学研究者に。2009年、尚美学園大学教員となり、現在に至る。

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