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球団消滅へ、優勝懸けたダブルヘッダー、同率決戦…プロ野球記憶に残る「ラストゲーム4選」

プロ野球のシーズン最終戦や本拠地最終戦では、過去に数々のドラマがありました。一般社団法人日本スポーツマンシップ協会理事で、プロ野球球団の運営にも詳しい江頭満正さんに、特に印象的な4試合を振り返ってもらいました。

近鉄の本拠地最終戦でメッセージを掲げて立ち尽くすファン(2004年9月、時事)
近鉄の本拠地最終戦でメッセージを掲げて立ち尽くすファン(2004年9月、時事)

 2022年のプロ野球レギュラーシーズンは、パ・リーグではオリックス・バファローズが最終戦で逆転優勝を決め、セ・リーグでは、東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が、王貞治さんの記録を抜くシーズン56号本塁打を自身の最終打席で放つというドラマが起きました。

 過去にも、シーズン最終戦や本拠地最終戦で、数々のドラマがありました。一般社団法人日本スポーツマンシップ協会理事で、プロ野球球団の運営にも詳しい江頭満正さんに、特に印象的な試合を振り返ってもらいました。(※肩書、チーム名はいずれも当時)

【1】大阪近鉄バファローズ、本拠地最終戦

 まずは、プロ野球再編問題で大阪近鉄バファローズが消滅することが決まっていた2004年シーズン、近鉄の本拠地最後の試合を挙げます。

 それは9月24日の西武ライオンズ戦でした。スタンドには「ありがとうバファローズ」「ファンを無視するな」などの横断幕が掲げられていました。この時点で近鉄の選手たちは来季どのチームでプレーするのか、来季もプロ野球選手でいられるのか、全く不明の状況でした。

 私は当時、近鉄バファローズのモバイルサイト編集長として仕事をしていましたので、消滅してゆくチームを内側から見ることができました。最後のホーム試合を、この目で見るために、満員の球場の記者席に座っていました。

 5回裏2対1で西武リード、近鉄の攻撃で松坂大輔投手がマウンドに上がりました。この登板は、防御率のタイトルを確実にするためのものでした。1イニング登板して失点しなければ、2位の岩隈久志投手(近鉄)との差を確実にできたのです。

 狙い通り5回を無失点に抑えた松坂投手でしたが、6回もマウンドに上がりました。パ・リーグでライバルかつ盟友だった、近鉄の4番中村紀洋選手と対決するためだと思われます。フルスイングで有名だった中村選手と、松坂投手の最後の対決になる可能性もありました。

 松坂投手は1球目149キロのストレートを投げ、中村選手は見送り。2球目150キロのストレートはフルスイングで空振り。3球目149キロのストレートを、中村選手はセカンドゴロとし、松坂投手が投げ勝ちました。松坂投手は全力でストレートだけを投げ込み、中村選手は全力のフルスイングで応える。素晴らしい対戦でした。試合は延長11回裏、一死二塁で、星野おさむ選手のライト線ヒットで近鉄のサヨナラ勝ちと、劇的な試合結果となりました。

 試合終了後、監督、選手、スタッフ全員で場内を一周。満員のライトスタンドをバックに記念撮影をしています。その写真で多くの選手が泣き顔だったのが印象的です。梨田昌孝監督はロッカールームで「おまえたちが付けている背番号はすべて、近鉄バファローズの永久欠番だ」と選手たちに伝えたそうです。

 この3日後、大阪近鉄バファローズは全ての日程を終えて、全ての選手がユニホームを脱ぎました。プロ野球史に歴史を刻んだチームの消滅の試合として、松坂投手と中村選手の真剣勝負の試合として、忘れることのできない試合です。

【2】10・19ダブルヘッダー

 次に挙げるのは、1988年10月19日、川崎球場で行われたロッテオリオンズと近鉄バファローズのダブルヘッダーです。

 この試合が始まる前の状況ですが、近鉄は残り2試合。近鉄が2連勝するとリーグ優勝となり、そのまま日本シリーズに進出が決定。1勝1分けでは、勝率で西武が上回り、近鉄の優勝はなくなります。ロッテは最下位がほぼ確定していました。

 近鉄の監督は仰木彬氏、ロッテの監督は有藤道世氏でした。1試合目は午後3時開始。3対1で迎えた8回、近鉄が2点を追加して3対3の同点としますが、当時ダブルヘッダーの1試合目は9回で終了する規則でした。もしこのまま9回が終われば近鉄の優勝はなくなります。目前で胴上げをさせたくないロッテも全力でした。

 結局、梨田昌孝選手のセンター前ヒットが決勝打となり、1試合目は近鉄が勝利しました。試合が終わったのは午後6時21分でした。

 2試合目は午後6時44分開始です。選手も指揮官も一息つく間もなかったでしょうが、2試合目も総力戦となりました。近鉄が6回に1対1の同点に追いつき、7回表に2点近鉄が得点すると、その裏にロッテが2得点し同点。8回表に1点近鉄が得点すると、その裏にロッテが1得点して同点と、膠着(こうちゃく)状態が続きました。

 1988年当時のパ・リーグのルールでは、延長戦は12回まで、または試合時間が4時間を超えたら新しいイニングに入らないことになっていました。試合時間によっては9回で終了もあり得るルールでした。

 9回が終わった時点で4対4の同点。残り時間を考えると10回で試合終了になる公算が大きかったのです。10回表、近鉄の攻撃は無得点。このまま時間切れになり、近鉄の優勝は夢と消えました。

 近鉄が必死だったのは当然といえますが、ロッテにも「最下位なんだから近鉄に花を持たせて」といった、スポーツマンシップにのっとっていない忖度(そんたく)はもちろんありませんでした。優勝が懸かった相手だからこそ、全力でゲームを行い、その姿勢が、球史に残る名勝負を生んだといえるでしょう。

 見ている野球ファンにとっても、プレーしていた選手たちにとっても、素晴らしい試合となりました。ロッテのホームグラウンドである川崎球場での開催にもかかわらず、近鉄のホームランにも大きな拍手が起き、観客は両チームの攻防に一喜一憂しました。また、テレビ中継も、この試合を最後まで放送するために、予定番組を短縮するなど、よい協力者にも恵まれました。名勝負はチームだけではなく、観客も、関係者も、多くの人の力がなくては生まれないものかもしれません。

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江頭満正(えとう・みつまさ)

独立行政法人理化学研究所客員研究員、一般社団法人日本スポーツマンシップ協会理事

2000年、「クラフトマックス」代表取締役としてプロ野球携帯公式サイト事業を開始し、2002年、7球団と契約。2006年、事業を売却してスポーツ経営学研究者に。2009年から2021年3月まで尚美学園大学准教授。現在は、独立行政法人理化学研究所の客員研究員を務めるほか、東京都市大学非常勤講師、一般社団法人日本スポーツマンシップ協会理事、音楽フェス主催事業者らが設立した「野外ミュージックフェスコンソーシアム」協力者としても名を連ねている。

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