母子家庭の子どもにお菓子 自身の体験もとに…奈良の僧による支援活動が5年で大きな輪へ
奈良県のある僧侶が始めた、母子家庭を支援する活動が開始から5年たった今、大きな広がりを見せています。

「母子家庭の子どもたちに、おやつを届けよう。お寺へのお供えのおすそ分けとして」。奈良県のある僧侶が始めた活動が、開始から5年がたった2019年1月、大きな広がりを見せています。全国47都道府県の1000を超えるお寺から、約400の協力団体を通じて約9000人の子どもたちにお菓子やお米、野菜などが届き、母親や子どもたちからは感謝の声が上がっています。
2014年1月、本格的にこの活動を始めた僧侶の名は松島靖朗(せいろう)さん(43)。自身もまた、母子家庭で育った一人でした。
「跡継ぎに」期待を嫌い、東京へ
奈良県北西部、田原本町にある浄土宗の寺院「安養寺」。松島さんが住職を務めるお寺で、母親の実家でもあります。松島さんが幼い頃の住職は母方の祖父。お寺の次女だった母親は結婚して大阪で暮らし、婦人服を販売する小さなお店を夫と経営していました。松島さんは幼稚園まで、大阪で過ごしました。
「お店を切り盛りしていたのは母親でした。父親はギャンブルに明け暮れる毎日。それも筋金入りで、当たり馬券の買い方を人に教える『学校』を運営していました」
祖父の意向もあり、小学校入学時、奈良に戻ります。その後、両親は離婚。松島さんは、母子家庭で育つことになりました。
「奈良に引っ越して、訳の分からないまま、法要のたびに住職、つまり、おじいちゃんと一緒にお勤めをしていました。最初は楽しかったのですが、徐々に周囲の声が気になってきました。『将来はお坊さんになって、みんなに恩返しせなあかん』『お寺を継ぐんだから、しっかりせなあかん』。お寺って窮屈な場所だな、と思うようになっていきました」
浄土宗系の私立高校に進学しますが、わずか2週間で退学します。
「15歳の私は、お寺からどうやって逃げるか、お坊さんにならないためには何をすればいいか、そればかり考えていました。『お寺なんて全部つぶれてしまえ』と思ったこともあります。普通の学校に行って、普通の会社に就職して、結婚して子育てして家を建てる。そんな『普通の人生』に憧れていました」
奈良の公立高校に入り直し、東京の大学へ進学。上京した1996年は、インターネットが新しい技術として多くの人を魅了し始めた時期でした。松島さんもその一人です。大学にはほとんど行かず、ネット関連の企業でアルバイト。その流れで、ネット関連の会社で9年間働きます。東京という刺激的な場所で「この人みたいになりたい」と思う人にも数多く出会いました。そこで、あることに気付きました。
「魅力的な人は、どこか違う生き方をしてきた人ばかり。普通とは違う。自分は『普通の人生』を生きたい、と東京に出てきたけど、自分が憧れているものと、自分のこれまでの気持ちにギャップがあることに気付いたんです。『普通の人生』はつまらない。何か『ユニークな生き方』はないか。そう思ったときに、お坊さんになる道を『ユニークな道』として、ようやく受け入れられるようになったんです。33歳でした。気付くのに、33年かかりました」
会社を辞めて、奈良へ。安養寺の住職となり、結婚して子どもにも恵まれた2013年、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
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