オトナンサー|オトナの教養エンタメバラエティー

1000年後まで津波から命守る 元女川一中生らがPJT 高台に石碑、21基目の披露式

大学入試改革など、高等教育を中心にしたさまざまな問題について、教育ジャーナリストである筆者が解説します。

「女川1000年後のいのちを守る会」のメンバーと、女川町小乗浜の石碑の披露式に臨む阿部一彦校長(左から2人目)(2021年8月、筆者撮影)
「女川1000年後のいのちを守る会」のメンバーと、女川町小乗浜の石碑の披露式に臨む阿部一彦校長(左から2人目)(2021年8月、筆者撮影)

 1000年後までも津波被害からみんなの命を守るため、町内に21ある浜の高台すべてに石碑を建てよう――。東日本大震災の直後に宮城県女川町立第一中学校(当時)に入学した生徒たちが在学中、そんなプロジェクトを立ち上げました。震災から10年半を経た11月21日午前、移転した女川小中学校前に完成した、21基目、つまり、最後の石碑の披露式が開かれます。

 卒業生有志による活動の傍らには、プロジェクトのきっかけとなる授業を行い、卒業後も教え子を支え続けた教師の姿が常にありました。

教室のカーテン開け、「今の女川」見せる

 女川町は津波被害で、人口の1割近い800人以上の命が失われました。被災地で最も早い2011年4月11日に再開した高台の同中に、生徒たちは避難所などから通ってきました。移動はカーテンを閉め切ったスクールバスです。被災した町を見せないように、との大人たちの配慮からでした。

 当時、学年主任で社会科の阿部一彦教諭=現・石巻市立桃生(ものう)中学校長=はNPOの協力を得て、町内の児童生徒約700人分の文房具を提供してもらう「希望のえんぴつプロジェクト」を実現、生徒たちを待ち受けるとともに、最初の授業で「ふるさと女川のために何ができるか」を考えさせようと決めていました。

 スクールバス同様にカーテンが閉まった4階の教室で、あいさつもそこそこに「愛するふるさと女川が大変なことになった。小学校の社会科で学んだことを生かして、どうすればいいか考えてみよう」と呼び掛け、黒板に問いを書いているうちに「そういえば、今の女川を見せていないな」と気付き、思わずカーテンを開けました。

 生徒たちは立ち上がって、がれきの中で何千人もが行方不明者を捜索している市街地を見下ろしました。机に戻ると、皆、何か言いたそうな目をしていたといいます。調べたいことを書かせると▽津波の歴史▽観光▽放射能の影響▽養殖漁業の復興――などが次々と挙がりました。

 同年11月に行われた公開授業をきっかけに、生徒たちは(1)互いに絆を深める(2)高台に避難できる町づくり(3)記録に残す――という対策を考え、2012年7月に仙台市内で開催された世界防災閣僚会議で発表しました。冒頭で紹介した「いのちの石碑プロジェクト」は(3)の一環で、修学旅行中の募金活動などによって必要経費約1000万円を集め、在学中、移転前の同中前庭をはじめ、3基を建てました。

 生徒たちは卒業後も「女川1000年後のいのちを守る会」として活動を継続。2017年3月には、自分たちの被災体験や防災のための教訓をまとめた本「女川いのちの教科書」の発行も実現しました。

生徒の可能性信じ、力引き出す日本の教師

 高さ2メートルの石碑には、生徒たちが考え抜いた「ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください」などというメッセージ(英語、フランス語、中国語にも翻訳)とともに、生徒たちが詠んだ「夢だけは 壊せなかった 大震災」(旧女川中に立つ碑)などの俳句が添えられています。

 そんな生徒たちを卒業後も支え続けてきた阿部校長は「自分たち(教員)は何もできていません。生徒たちがすごいんです。高校1年生になって、国連防災世界会議(2015年3月、仙台市)で発表するのを聞いて以来、彼ら彼女らが私の『師』です」と話します。

 阿部校長のように子どもたちの可能性を信じ、常に寄り添って励まし、力を引き出そうとしてきたのが伝統的な日本の教師です。経済協力開発機構(OECD)もそんな全人格的な教育で成果を上げてきた日本に着目しながら、不確実な時代に学習者が主体性を発揮して、個人と社会の幸福を目指す「Education2030」プロジェクトを推進してきました。

 中央教育審議会(中教審、文部科学相の諮問機関)では現在、教員免許や研修など教師の在り方を検討しています。全国に多数いる阿部校長のような先生を励まし、後継者を増やすような改革にしてほしいと思います。

(教育ジャーナリスト 渡辺敦司)

【写真】「津波からみんなの命を守りたい」と女川町で建立された「いのちの石碑」

画像ギャラリー

渡辺敦司(わたなべ・あつし)

教育ジャーナリスト

1964年、北海道生まれ、横浜国立大学教育学部卒。日本教育新聞記者(旧文部省など担当)を経て1998年より現職。教育専門誌・サイトを中心に取材・執筆多数。

コメント