LGBTは趣味なのか嗜好なのか どのように理解を深めるべきか?
LGBTなどの性的少数者を巡る自民党国会議員の発言が問題となっています。LGBTに対する理解について筆者が論じます。

LGBTなどの性的少数者について、「種の保存に背く」などと差別を助長する発言が自民党の国会議員から相次ぎました。支援団体などは、簗和生元国土交通政務官、山谷えり子元拉致問題担当相の発言撤回や辞職などを求める、9万4000筆に及ぶ署名を自民党本部に提出しました。
自民党は役員会で、LGBTなど性的少数者に対する理解増進法案について、審議日程が窮屈だとして、今国会への提出を見送る考えを重ねて示しています。
LGBTは趣味なのか、嗜好なのか
これまでも、自民党は同性婚のための法整備は不要との立場を示してきました。谷川とむ衆院議員は2018年7月29日放送の「Abema TV」の討論番組で、作家の乙武洋匡さんが同性婚や夫婦別姓を認めない政府に疑問を呈したのに対し、「多様性を認めないわけではないが法律化する必要はない。『趣味』みたいなもの」と述べています。
杉田水脈衆院議員が「新潮45」(その後休刊)2018年08月号の「『LGBT』支援の度が過ぎる」の中で「性的少数派(LGBT)は生産的ではない」「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるか」という趣旨の内容を寄稿し、性的少数派ばかりかメディアを巻き込み、寄稿者への批判の声が飛び出した出来事でした。
批判を恐れずに申し上げるなら、谷川議員の「『趣味』みたいなもの」という発言や、杉田議員の「性的少数派(LGBT)は生産的ではない」という考え方は理解することができます。LGBTでない人にとっては、性的嗜好(しこう)のように解釈されたとしてもやむを得ない面もあるからです。
しかし、LGBTの人たちは趣味や嗜好として、その生き方を選択したわけではありません。好奇の目にさらされて、偏見や不都合の中で生きていかなければならない少数派は間違いなく存在します。
そのような視点で考えるなら、少数派を差別したり、排除したりすることは好ましくはありません。いまや、世界的な潮流は擁護と理解の方向性に進んでいます。国としても、可能な限り支援の手を差しのべて、理解促進に努めるべきだと考えます。
そこに存在する不都合な事実とは
そこに性的多数派と性的少数派が存在した場合、関係が対等になることは考えにくいでしょう。性的多数派がイニシアチブを取っている社会(今の社会がそうだと思います)であれば、性的少数派の声はかき消されてしまうからです。
また、人間は生まれたときから平等ではありません。五体満足の人もいれば、肉体や精神にハンディキャップを抱えている人もいます。裕福な家庭に生まれる人もいれば、そうでない人もいます。私たちは、この変えようもない理不尽とも思える多くの不平等を受け入れながら成長していきます。
そして、社会には必ず「差別」が存在します。私たちはそこに不平等や差別が存在しても、与えられた環境下で生きていくしかありません。だからこそ、「必要な理解」もあるように思います。
筆者は障害者支援の活動を学生時代から約30年にわたり続けています。その中で見たものはまさに、言葉では言い表せない「不平等」「差別」の縮図でした。理不尽と言えばそれまでですが、障害に関する理解や差別を是正する上では、通らなければならない道のりだったと考えています。
LGBTの人たちは、この不都合な事実を一定程度は受け入れて生きていくしかありません。平等を求めて、差別をなくすことは必要ですが、現状では超えることができない差別や不平等があることも忘れてはいけません。
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