「ポジティブ離婚」で幸せになる 6年間準備し、モラハラ夫と別れた女性のケース
離婚をすることで不幸になるのではなく、幸せへの扉が開かれる「ポジティブ離婚」。その実例を紹介します。
政府統計によると、1950年以降、離婚件数が最も多かったのは2002年で約29万組でした。私は「恋人・夫婦仲相談所」で多くの悩みを聞いていますが、確かにあの頃の内容には「離婚」という言葉がよく出てきたのを覚えています。
離婚件数は年々減少し、2019年では約21万組です。とはいえ、結婚するカップル自体が減っているので「離婚する人が少なくなってよかったですね」と笑うわけにはいきません。
既婚者であれば、夫婦げんかをしたときに「別れたい!」という思いがチラッとよぎることもあるでしょう。「旦那デスノート」というコミュニティーがにぎわったように、ストレスを発散したい妻たちは少なくありません。
お互いの悪口をネットで発散するだけでは収まらず、「絶対離婚」と決意したとき、納得し、憎み合わず、スッキリと将来を見据えることができる「ポジティブ離婚」に持っていくにはどうすればいいか――。これには、確固たる決意と技術が必要になります。
年齢、子どもの有無、就労状態、所有財産によって離婚の在り方は多種多様ですが、まずは「ポジティブ離婚をした先人」を知ることです。以下にご紹介するポジティブ離婚の成功例から、「離婚すると自分も子どもも不幸になる」という「ネガティブ離婚」の固定観念を外してみてはいかがでしょうか。
昭和スタイルの夫、子どもの前で暴言を…
雅恵さん(仮名、離婚当時45歳)の夫は6歳年上で「夫は仕事、妻は家を守る」の典型的な昭和スタイルを貫く厳しい人でした。結婚当初から単身赴任で地方にいることが多く、子どもには雅恵さん一人で向き合っていました。
寂しさを感じていた雅恵さんは仕事をしたいと思い、子どもが小学校に上がると近所の幼児教室でパートを始めます。その頃は遠距離恋愛の延長のような結婚生活で、帰宅したときにきつい言葉を言われても、夫のことを信頼していました。
夫の赴任が終わり、家に戻ってきてからが雅恵さんの苦労の始まりです。
頑固で神経質な上、分刻みで動く夫は、夕食の時間が10分でも遅れると不機嫌になる。休日、疲れている雅恵さんが寝坊をすると、布団を剥いで背中を蹴る。雅恵さんが好きなドラマを見ていると、何も言わずにチャンネルを変えて自分の好きなネーチャーの番組を見始める…。
最も頭にきたのは「俺のいない間、次郎(子ども、仮名)を甘やかしたから、しつけがなっていない」という言葉です。子どもが言うことを聞かないと、全て雅恵さんのせいにします。畳み掛けるように、「おまえは頭がよくないから、ニュースを見ても理解できんだろう。次郎が似ると困るな」と暴言まで吐きます。
実は単身赴任の前から、雅恵さんをばかにするような言葉は日常茶飯事だったのですが、雅恵さんはまひしていて気にならなかったといいます。しかし、大きくなった子どもの前でなじられて「これはモラハラでは?」と気付きました。
その後、本やネットで離婚について調べ、夫からもらう生活費の浮いた分を自分の通帳に入れるようにしました。パートの給与に手を付けないよう節約して、離婚問題に強い女性弁護士のところへ相談に行きました。
そして、子どもが高校を卒業するまでの6年間、弁護士のアドバイス通りに着々とお金をためます。夫の資産を洗い出し、半分もらえば1人で生計が立てられると計算。その間、パソコン教室に通ってエクセルの使い方も習得しました。
その上で、指示通り夫に手紙を書きます。「精神的苦痛に耐えられません。離婚を考えています。あなたによって傷ついたことは…」と箇条書きで27個並べ、子どもは大学入学で1人暮らしをするので同時に家を出ると伝えました。
夫の慌てぶりは相当なものでした。3日間話し合い、夫は自分の態度が悪かったことを認め、深く頭を下げました。雅恵さんはこの日のために傷つく言葉に耐え、一生懸命お金をためてきたのだと感じ、胸がスッとしたといいます。
怒りに任せて短絡的に「別れたい」と告げたのではなく、弁護士を味方に付け、就職準備もしていた妻。6年間、淡々と準備をしていた妻の“本気度”に夫は逆らうことはありませんでした。
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