橋田壽賀子さん「安楽死」発言が話題、日本にドクター・キリコは必要なのか
延命中止が法的に整備されていない
問題の本質は、日本では患者の延命措置の中止に関して、法的な整備がなされていないことでしょう。そのため、延命の中止が嘱託殺人や保護責任者遺棄罪などの刑法に触れる可能性もあり、医師も慎重にならざるをえない事情があります。
一方、日本尊厳死協会などが推進する「リビング・ウィル」活動は草の根的に広がっています。リビング・ウィルは自分の意識がはっきりしているうちに、終末期にどのような治療方針を取ってほしいのかを記す文書で「尊厳死の宣言書」とも言えます。
これを法制化しようと、超党派の「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」という組織があり、衆参合わせて196人もの国会議員が所属しています。国会は与野党で“低次元な”議論をしているイメージもありますが、こと「終末期」がテーマになると、与野党のこれだけの議員が団結しているのです。
そのため一気に話が進みそうな気もしますが、前身の結成から10年以上が経過しているにもかかわらず、法案はいまだに提出されていません。橋田さんが心配するような、認知症になってからの終末医療にはとりわけ、リビング・ウィルが有効だと思いますが、以上の事情から法的拘束力はなく、治療方針が医師や他人に委ねられてしまう可能性も排除しきれません。
「生きものは死ぬときは自然に死ぬもんだ…」
「生きものは死ぬときは自然に死ぬもんだ…それを人間だけが…無理に生きさせようとする」
ドクター・キリコのセリフです。日本の医療が高いレベルにあることは異論がありません。しかし終末期医療に関しては、「生かす」ための治療にはさまざまな手法があるにもかかわらず、「終わらせる」治療はごく限られているのです。
結果的に、本人ではない「誰か」が断ることでしか治療を終えることができません。そこには「生きてほしい」感情と、「とどめを刺した」罪悪感が伴うため、決断はどうしても先延ばしになりがちです。
しかし、苦しむのは患者本人です。「無理に生きさせようとする」ことに誰もが違和感を抱きつつ、解決策のない状態が続いている――。そんなこの国で、ドクター・キリコの登場を待ち望んでいる人は少なくないのかもしれません。
(株式会社あおばコンサルティング代表取締役 加藤圭祐)