池袋暴走、遺族が民事訴訟 「刑事」「民事」の関係は? 刑事の結果はどう影響?
東京・池袋で起きた死亡事故について、刑事裁判が進行中ですが、遺族が民事裁判も起こしました。刑事裁判と民事裁判の関係について、弁護士に聞きました。

東京・池袋で2019年4月、暴走した車に母子がはねられて死亡した事故を巡り、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の罪で起訴された飯塚幸三被告(89)=旧通産省工業技術院元院長=の刑事裁判が東京地裁で続いていますが、遺族は民事裁判も起こしたことを1月19日の記者会見で明らかにしました。刑事裁判と民事裁判が並行して進むことになりそうですが、2つの裁判の関係について、芝綜合法律事務所の牧野和夫弁護士に聞きました。
被告が高齢であることも影響か
Q.刑事裁判と民事裁判の違いについて、概要を教えてください。
牧野さん「刑事裁判は、起訴された被告が法律で定められた『犯罪行為(今回の場合は、交通事故での加害行為)』を行ったのかどうか、どのような刑罰を科すか、責任を追及すべきかどうかを判断する手続きです。国家権力(検察官)が犯罪行為を証明する必要があります。
それに対し、民事裁判は私人(しじん)間(私人と私人の間、会社と私人の間、会社間など)の紛争(今回の場合は、交通事故の被害者遺族が加害者に行う損害賠償請求)を解決するための手続きです。民事裁判を起こした私人の原告が被告の民事責任を証明する必要があります。もっとも、弁護士の力を借りて裁判に臨むことが多いです」
Q.一つの事件・事故を巡って、刑事裁判、民事裁判両方が行われる場合、刑事裁判の決着がついてから、民事裁判が起こされることが多い印象があります。
牧野さん「刑事裁判では、犯罪行為の事実と証拠が明確になりますので、刑事事件の判決が確定してからの方が民事裁判が進めやすいと一般的に言われています。刑事裁判と民事裁判の両方が多く提起される典型的なケースが交通事故です。例えば、車で人をはねてしまった場合、過失運転致死傷罪や危険運転致死傷罪に問われます。
刑事裁判では、これらの罪に対して判決が言い渡されますが、被告が無保険の場合や保険金の支払いが不十分な場合は、民事裁判で逸失収入や慰謝料の支払いを求めることができます」
Q.刑事裁判で有罪判決が出た場合、民事裁判で被害者側(原告)が有利になる面はあるのでしょうか。それとも、裁判としては一からの判断になるのでしょうか。逆に、刑事裁判で無罪判決が出た場合、民事裁判でも被告が有利になるのでしょうか。
牧野さん「刑事裁判で検察側が被告の有罪を立証するためには『厳格な証明』=『合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証』が求められます。他方、民事裁判では『高度の蓋然(がいぜん)性』=『通常、人が疑いを差し挟まない程度に、真実性があるとの確信』が立証されれば足りるとされます。刑事裁判で求められる『厳格な証明』は民事裁判で求められる『高度の蓋然性』に比べてハードルが高いのです。
刑事裁判と民事裁判とで立証責任の程度が異なることから、刑事裁判で有罪判決が出た場合、民事裁判でも被告が不利、つまり、原告が有利になると一般的にいえますが、他方で、刑事裁判で無罪判決が出た場合であっても、民事裁判で被告が有利になるかは分からず、原告が勝訴する可能性もあります」
Q.刑事裁判で認められた証言や証拠を民事裁判で利用することはできるのでしょうか。
牧野さん「刑事裁判の成果を利用して、被害者の受けた被害についての損害賠償請求についても審理する『損害賠償命令制度』が2008年12月に始まりました。
この制度の利用は一定の故意犯(殺人、傷害致死、強制わいせつなど)に限られていますが、被害者や遺族が加害者の刑事裁判が行われている地方裁判所に対して損害賠償請求の申し立てをすると、申し立てを受けた裁判所は刑事裁判の有罪判決を出した後、被害者からの請求(損害賠償請求)について審理を行い(原則4回以内)、加害者に損害賠償を命じます。
それまでは、刑事裁判とは全く別の裁判官が損害賠償請求が認められるかどうか、損害賠償の金額などを決定していましたが、この損害賠償命令制度を利用すれば、刑事裁判を担当した裁判所が刑事裁判の成果を利用することができるため、より簡易・迅速に損害賠償請求ができるようになりました」
Q.一つの事件事故について、刑事裁判と民事裁判が同時に進むと、証言や証拠の調べを巡って、不都合が生じることはないのでしょうか。
牧野さん「刑事裁判と民事裁判とで証言や証拠の食い違いがあると証拠能力が疑われますので、被害者の民事裁判の代理人弁護士は証言や証拠の食い違いがないように民事裁判を進めていく必要があります。食い違いがあって、有利に働くことはほとんどないでしょう」
Q.池袋暴走事故の民事提訴は刑事裁判の方がなかなか進まないこともあり、「飯塚被告から事故の真相を聞きたい」という遺族の思いがあってのことのようです。このような「刑事裁判で聞けないことを民事裁判で聞く」というケースは多いのでしょうか。
牧野さん「『刑事裁判で聞けないことを民事裁判で聞く』というケースはそれほど多くはありません。本件の民事裁判の提訴は『コロナ禍でなかなか刑事裁判が進まないので、刑事裁判で聞けないことを民事裁判で聞く』ためだけではなく、被告が高齢であり、万一の場合に事故の状況が聞けなくなるという事情、および民事訴訟提訴の時効(人身損害は5年間、物損は事故から3年間)といった事情もあっての提訴と思われます」
(オトナンサー編集部)
飯塚幸三さんの第5回公判
警視庁が車に異常なしという証言をしたらしいが、ブレーキの不具合の苦情の件(既出)と話が噛み合わない。
警視庁は電子部品とコンピューターの専門家じゃないのに、一体何が解ると言うんだ? 調査結果の信ぴょう性がないので判決を出すのは不可能。
この事故は裁判で白黒付けるのは不可能なので判断してはならない。
事故を鑑定した警視庁交通部の警察官:「(事故車の車種に)リコールはないと確認しております」
ブレーキの不具合の苦情が国内で14件あったがリコールされなかったらしい。 →じゃ、ダメじゃん。やっぱり不具合は潜んでいると考えるのが自然。
何万台か知らないがその中の十数件などでたまたまエラーが発生したが、警官が鑑定した時はエラーは出なかったと。
これでは事故時には本当にエラーが出なかったのかどうかが判らないじゃないか。事故時にはたまたまエラーが発生したのかもしれないし。
ブレーキの構造は詳しくは知らないが、たぶんブレーキもデジタルアシストされているのだろうが、となるとデジタル機器なんてある種、
エラーとバグと企業秘密のユートピアのようなものなのだから信用できない。
事故を鑑定した警視庁交通部の警察官:「電気系統の制御部の壊れ、歪み、異常をきたすものは確認できませんでした」
→どれも外観から鑑定した結果しか証言されていないのでは? 外観しか鑑定していないとすると、全くお話にならないという事になるじゃないか。
「プログラムを鑑定を鑑定した云々」という話が全く無いようじゃないか。
デジタル制御車を鑑定するならプログラムを鑑定してナンボでしょ? 外観なんか見ても大して意味がないじゃないか!!
外観が壊れていない事なんて前提中の前提なので、壊れていたら話にならない。
電気系統なんて機械部分または駆動部分でないので歪みなんて確認しても大して意味あるのだろうか? 外観や、通り一遍のプログラムテストでは炙り出せないのが
潜在的エラー(プログラムエラー)のはずだ。プログラムテストを死ぬほどやらないと発見できないのがプログラムエラーだ。
そして、プログラムテストでは発見できないのがハッキングや遠隔操作によるイレギュラーな動作異常のはずだ。
だからややこしくなるから自動車バイクの操縦機構のデジタル化は絶対ダメだと言ってるのにな。
デジタル機器は絶対に時刻表示もするな不気味だ。(怒) 要求された時以外は表示するな不気味だ。時刻がウヨ語(やくざ語)やろが。「83 257」((パさん 事故んな))
駆動部分の目視鑑定以上に難しい事をやらせようとするのがそもそもの間違いなんだよ。機械式でも誰も困らん。デジタル式のほうが困っとるやろが。本末転倒やろ。アホやな。
警察では鑑定不可能。
特に車の操作系はアナログ(完全機械式)に回帰するしかないな。全車。気持ち悪いだろ。よくそんなもん使えるな、という。
人の命を預かっているというのにデジタルでは安っぽい。危なっかしくてとてもじゃないが見ていられないな。
大体、ちょっとしたミスが人の命に直結するような運転操作を電子制御に任せるなんて大間違いなのであって、完全機械式にて運転操作の手数は増えたとしても、
気持ち悪い電子部品を介して疑心暗鬼になりながら運転するよりは遥かにマシなのであって、もはやこのほうが信頼性が有る状況となっている。絶対に完全機械式に回帰すべし。
自動車やバイクとその他の家電を同じ地平で語るのは大間違いなのである。エラーが発生した場合の深刻さが、まるで違うのに。
危なっかしい危なっかしい。乗り物のデジタル化は大きな過ち。大体、ネットスーパーの件と同じで、これでは、ものを言う人間はリスクが高過ぎて自動車を使えない事
になってしまうじゃないか。そんな馬鹿げた話はあってはならないのだと、なぜ判らないんだ。簡単に毒殺しようとするぐらいだ。遠隔事故のほうが簡単かもな。
世の中への思い遣りが、足りないな。いろんな立場の人が必然的に生じるのがこの社会なのに。つまり、メーカーは、誰にとってもリスクのない乗り物にしないとならない。
なので、我々は、デジタルアシスト車をボイコットしなければならないし、今日明日にでも機械式自動車をメーカーに要求すべきである。
「自分は関係ない。自分が良ければ良い。」で済む話ではないし、暴力団の圧力に対しては誰もがNOと言うのが当たり前である。
何も知らない人は、勧められるままに何の気なしにデジタルアシスト車を買ってしまうのかもしれないが、よく考えると実はこのようにすべきという事が明確となった。
このような事故が起こった事で、正義を求める立場のはずの弁護士や検察の方や特定の立場の方にのし掛る心理的肉体的重圧がどれぐらいのものか想像できるだろうか?
恐ろしくて車なんて乗りたくも何ともなくなったというのが本音ではないだろうか? ブレーキを掛けても全く利かず、エンジン全開で暴走し出す可能性もあると思うと、
これは大変だぞ?! 正しく正義が遂行されなくなると我々の社会は更にトンデモない事になるぞ?!
なのでどのような人でも無関係のはずがないのである。街には機械式自動車しか走ってはならないのである。
このように実際に暴力が有ったらしい事が判ってしまった以上、遠隔操作という闇が確かに有るという事が判ってしまった以上、
我々は立場の違いを乗り越え、デジタルアシスト車に対してNOと言う必要がある。電子基板はエラーとバグと企業秘密の、密林またはユートピアのようなものなのである。
一旦失った信用は、特に電子基板に関しては半永久的に戻らないだろう。今後、誰にどんなに安全と言われても電子基板など信用できる訳がない。
我々は、安っぽい“ラジコンおもちゃ”に乗ってはならない。
動力が電気だったとしても、昔ながらのように操作機構はアナログ式にする事は可能のはずである。
アメリカと共同で自動運転車なんか開発してる場合じゃないのにな。問題が置き去りにされてるにゃろ?
こういうの大嫌いだな。“問題は置き去りにして、自分だけは突っ走る”、みたいな。
みんなの不安を増長させてどうするんだよ今すぐに全車機械式にしなさいよ。求められるのは安心できる車だけ。
遠隔操作殺人事件が2件発生し3人死んだ。表面化してないものはもっと沢山あるかもしれないじゃないか。メーカーは本格的に頭を冷やす必要が。
ただ事じゃないぞ? 遠隔操作問題。
コラコラコラ、コメ消すな