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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【後編】

職員たちの深い闇を描いたのはなぜか

 筆者は、この雄勝病院の職員や遺族ら数十人から1年間にわたって話を聞き、2013年3月に一冊の本にまとめました。心に傷を負った関係者から話を聞き出すという、当事者にとっては残酷な取材だったと思います。「そんなことまで聞くのか」と嫌な顔をされたことも一度や二度ではありません。取材を進めるうちに、本にまとめる自信がなくなってきました。職員が抱える闇の深さにたじろいだのだと思います。

 それでも書いたのは、なぜか。

 それは、津波が来ることが分かっていながら、患者がいるからと病院にとどまり、犠牲になった職員一人一人の最期をきちんと記録に残したかったからです。それは、ジャーナリストとしての性(さが)だったのだと思います。

 その後も、この慰霊碑には50回以上通い続けています。私は「3・11」の慰霊の日に毎年、趣味としているランニングの仲間とともに、震災のあった14時46分をここで過ごすことにしています。今年も仙台のランナーや関東のランナーら30人超のメンバーで、石巻~女川~雄勝の約40キロを一緒に走りました。慰霊碑前にはたくさんの遺族が参列しており、私たちが順番に手を合わせている時に仲間の一人が、ハーモニカで唱歌「故郷」を演奏してくれました。

 震災から6年。慰霊碑の前に立ってみると、震災の記憶が風化し始めているのを感じます。悲しみを引きずってほしいとは思いませんが、最後まで患者の命や自分の命と向き合った人たちがいたことを忘れないでいてほしい。石巻を訪れたとき、少し足を延ばして雄勝を訪ねてみてください。

(ノンフィクション作家 辰濃哲郎)

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辰濃哲郎(たつの・てつろう)

ノンフィクション作家

1957年生まれ。慶応義塾大では野球部に投手として所属。卒業後は、朝日新聞社会部記者として事件や医療問題を取材した。2004年に退社。日本医師会の内幕を描いた「歪んだ権威」や、東日本大震災の被災地を取材した「海の見える病院 語れなかった『雄勝』の真実」「『脇役』たちがつないだ震災医療」を出版。趣味でランニングを20年近く続け、最近はトレイルを走っている。ランニング雑誌「クリール」で1年間、連載を手がけた。

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