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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【後編】

事務長は、診療所に残った

 事務長は震災後、病院の代わりに建てられた雄勝診療所の事務長として働いていました。めったに笑わず、ぶっきらぼうな態度ですが、震災後は64人の犠牲者の家族を回って支えとなり、その後も病院職員の心のよりどころとして腐心してきました。震災当日、病院にいられなかったという負い目と苦悩を抱えながらも、黙々と堪えてきたのです。

 その事務長は、慰霊碑のそうじから花壇の手入れまで、看護師たちと担ってきました。いつ誰が慰霊碑を訪ねてきても手を合わせられるように、プラスチック製の道具箱に置かれた線香とライターを切らしたことはありません。この間、町内の復興住宅の建設工事で排出される残土の置き場が病院跡地にできるなど、2度にわたって慰霊碑の場所を移動してきました。

 事務長は2年前に定年を迎えました。病院跡地は当時、市の復興計画で鎮魂の森として再開発されることが決まっていましたが、この慰霊碑の扱いについては方針が示されていませんでした。そこで事務長は再任用を申し出て、嘱託として診療所に残る決意をしました。慰霊碑を守らねばならないと考えたからです。そして2015年暮れ。鎮魂の森に慰霊碑がそのままの姿で残されることが決まりました。

「自分の役目は、これで終わった」。そう思った事務長は再任用の期間を残して、病院を離れました。

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辰濃哲郎(たつの・てつろう)

ノンフィクション作家

1957年生まれ。慶応義塾大では野球部に投手として所属。卒業後は、朝日新聞社会部記者として事件や医療問題を取材した。2004年に退社。日本医師会の内幕を描いた「歪んだ権威」や、東日本大震災の被災地を取材した「海の見える病院 語れなかった『雄勝』の真実」「『脇役』たちがつないだ震災医療」を出版。趣味でランニングを20年近く続け、最近はトレイルを走っている。ランニング雑誌「クリール」で1年間、連載を手がけた。

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