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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【後編】

宮城県石巻市の市街地から車で40分。雄勝半島の海辺に、東日本大震災で64人が犠牲になった悲劇をひっそりと伝える、質素な木製の慰霊碑があります。

硯上山から見下ろす雄勝の街並み。ほとんどの家屋が流された

 石巻市立雄勝病院の建物は東日本大震災後、しばらく残されていました。震災から1年目の「3・11」には、患者や職員の家族、病院の元職員らが集まり、病院の中庭でささやかな慰霊式が行われ、2年目の慰霊の日が済んだ後、病院は取り壊されました。

慰霊碑が木で作られている理由

 このままでは、患者や職員の遺族が手を合わせるところがなくなってしまう――。震災当日、石巻市議会へ出向いて無事だった病院の事務長は、手作りで木製の慰霊碑を建てることを計画しました。素材に木を選んだのは、病院の跡地が今後どのように使われるかが決まっていなかったこともあり、いつでも移動できるようにするためです。

 ボランティアスタッフとして、八ヶ岳から雄勝に通っていた造園業者が慰霊碑周辺に花壇を作ってくれました。線香台には、風よけのために地元特産の雄勝石をかぶせました。何より患者を死なせてしまった病院としての負い目と、あの日、その場にいられなかった職員の自責の念が二重三重にのしかかり、目立つような慰霊碑を建てることは許されなかったのです。

 2013年8月4日、慰霊碑は完成しました。作業着に軍手姿で汗だくになった事務長や職員たちの表情は、ほっとしたように見えました。

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辰濃哲郎(たつの・てつろう)

ノンフィクション作家

1957年生まれ。慶応義塾大では野球部に投手として所属。卒業後は、朝日新聞社会部記者として事件や医療問題を取材した。2004年に退社。日本医師会の内幕を描いた「歪んだ権威」や、東日本大震災の被災地を取材した「海の見える病院 語れなかった『雄勝』の真実」「『脇役』たちがつないだ震災医療」を出版。趣味でランニングを20年近く続け、最近はトレイルを走っている。ランニング雑誌「クリール」で1年間、連載を手がけた。